資料室

検証シンポジウム 関西生コン事件を考える@東京

暗闇の時代の到来を ふせぐために

「 検証シンポジウム 関西生コン事件を考える・東京」(2月15日)
開会あいさつから 
鎌田 慧(ルポライター)

私の労働組合体験

私は高卒後、小さな印刷会社で働いていました。全印総連が組織した個人加盟方式の労働組合を結成して、偽装倒産、企業閉鎖、全員解雇攻撃と闘ったことがあります。ロックアウトに対する籠城闘争です。組合を拒否する先制ロックアウトは違法です。75日間の籠城闘争の末、都労委の斡旋で全面解決。別会社をつくる資金を得て、自主管理(組合経営)の会社をつくりました。このとき、泊まり込みの応援にきてくれた労働者との交流から、労働運動のルポを書くようになりました。

古い話なんですけど、そのすこし前、関西の近江絹糸という会社で有名な大争議が発生しました。近江絹糸は今でもありますが、女性労働者たちの状況があまりにもひどいというので立ちあがり、全国で有名になったのです。そのあと、いろいろな中小企業で近江絹糸の運動に学んだ争議が起き、1960年安保闘争に向かう前、中小企業の組織化が拡大していきます。

コンプライアンス活動とは

関西生コンの運動というのは、企業別組合でない産別、個人加盟という方式なので、弾圧があっても闘争がつづけられているのです。欧米あるいはその影響を受けたアジアでは、当然個人加盟、産別なんですけど、日本はほとんどハウスユニオンと言われる、会社組合、企業別組合です。

もちろん、企業内組合でもいろいろストライキなんかがありましたけれども、だんだんと海外競争をふくんだ、企業間競争が激しくなるに従って、企業意識、企業防衛意識に誘導され、すべて企業防衛に協力するようになりました。希望退職の募集などでも労組が協力して、解雇年齢の線引きや、解雇リスト作成に協力するなど、第二労務といわれたりしています。企業危機には労使一体化して頑張っていく。最近の言葉で言えばワンチーム、企業内で労使一体となって国際競争に立ち向かうと、そ
ういう流れになっています。

個人加盟労組によって、業界の低い労働条件を改善していく活動、今はコンプライアンス活動と言ってますけど、これは安全点検闘争、人権闘争なんですね。安全点検闘争は、炭労最強の三井三池炭坑労組の日常活動として、活発に実施されていました。労働者の命を守るのは安全闘争です。5人組の班を作り、職場を点検して安全を管理する、坑内の安全管理を労働者が握る、こういう運動だったわけです。

労働組合は民主主義の基盤

ところが今、この活動を不当にも、まるで暴力団あつかいして、刑事警察ばかりか公安警察が中心になって、滋賀県の場合なんかそうですけど、大弾圧をかけてきています。労使協力ではない。職場の権力は完全に会社が握る。民間企業なのに、警察が加担しているのです。民間企業に警察が関与したら警察国家です。経営者にとっても、経営権侵害のはずです。労働運動を犯罪視するのは、労働法ばかりか、憲法否定で、いわば治安維持法の支配下ともいえます。

私たちは、労働組合は民主主義の基盤であると考えたい。労働組合活動なくして日本の民主主義は成立しない。6000万労働者の自由なくして、民主主義はありえない。いま、安倍政権は警察官僚を官邸で側近におき、最高裁判官もNHK会長も内閣法制長官も支配下に置き、検事総長まで息のかかった者にしようとして、ブザマに失敗した。議会内多数をたのんで、とにかく自分の意にかなう形で政権をやっています。

この暴政と圧政に抗する民主主義の基盤として、労働運動と市民運動があるのですが、その一方の労働運動が戦後もっとも強烈な弾圧に遭っています。これからどういうふうに労働運動を再建していくのか、民主主義をどういう形で強化していくのか、そういうふうな問いかけがいま切実です。

労働運動と市民運動の連帯で

もうひとつは市民と労働組合の連帯をどう強めていくのか。いま原発反対運動は、市民が中心です。以前は地区労や県評が中心でした。市民運動が労働運動をささえる基盤ができています。企業内の労働者が市民と力を合わせて闘い、市民が労働運動に手を差し伸べる。市民の団体と労働者の団体が、民主主義を闘うためにどういうふうな形で一緒に闘っていくのか。

関西生コンの闘争と大弾圧は、警察の横暴という意味では、市民生活への支配の強化として、無視できません。労働運動と市民運動との連帯なくして、日本の民主主義は成立しません。

団結権も争議権も、憲法で保障されています。社会の民主化運動は、意見のちがいや立場のちがいを乗りこえながら、一緒に協力しあう。民主化闘争は運動内部の民主主義によって作っていく。そういう運動がいま必要になっていると思います。

この生コン運動は残念ながら、関西が舞台です。地の利が関東ほどないので難しいところがありますけれども、関西生コンにかけられている弾圧が、これからの暗闇の時代の到来をふせぐ、私たち一人ひとりの思想信条、自由と民主主義と人権をもとめる意識に深く関わっていることを認識し、捉え直して、運動を拡げていきたい。



鎌田 慧(かまた・さとし)
ルポライター。『自動車絶望工場』『六ヶ所村の記録』など著書多数。近著『反逆老人は死なず』(岩波書店)。「さようなら原発」「戦争をさせない1000人委員会」などのよびかけ人。

検証シンポジウム 関西生コン事件を考える@東京

日時 2020年2月15日(土)13:30~16:30
会場 田町交通ビル 大ホール 
主催 関西生コンを支援する会

シンポジスト:毛塚勝利(労働法)、申惠丰(青山学院大学教授、国際人権法)、安田浩一(ジャーナリスト)
コーディネーター:海渡雄一(弁護士、関西生コンを支援する会共同代表)


パネルディスカッション 
【1】3人のパネリストから――私たちはこう考える

海渡:それでは改めまして、今日のコーディネーターを務めます、弁護士の海渡と申します。こちらの方からパネラーの先生方をご紹介したいと思いますが、まずは国際人権法がご専門の申惠?先生、労働法研究者の毛塚勝利先生、ジャーナリストの安田浩一さん。パネルディスカッションでは、最初に各パネラーの方々に20分ずつ、事件に対するそれぞれのおもいを語っていただいて、その後に少し、どうしてこういったことが起きたのか、弾圧を食い止めるにはどうしたらいいかを話し合いたいと思います。

それでは最初に労働法、とくに団体行動法理の観点からです。産業別労働組合運動というものが日本できちんと理解されてこなかった。そのことがこの事件の根底にあるのではないか。あとは労働組合の問題、コンプライアンス活動の問題も含めて毛塚勝利さんから最初に報告をいただきたいと思います。

労働市場の自治的規制とモニタリングは労働組合の大切な役割
毛塚勝利さん(労働法)から

毛塚:今ご紹介いただきました毛塚です。20分くらいということですので、どこまでお話すべきか難しいところですが、今産業別労働組合運動についての理解がないとのご指摘がありましたが、個人的には関生労組は職業別労働組合と捉えるのが正しいのではないかと思っています。それは後でお話します。

関生事件の異常性と労働法研究者の声明の意図

レジュメに沿ってお話しますと、今回、関生労組の組合活動に対して大量の刑事訴追がなされたということで、われわれ労働法を研究している者にとってもかかる事態は経験のないことでありまして、資料として付いているとは思いますが、労働法学会の研究者有志80名で声明を出しました。







なぜかと言えば、ご存じのように一般の民間の労働紛争の場合、もし組合活動に不満であれば、紛争当事者が損害賠償請求をするなり、差し止めを求めればいいことですが、今回の事件は相手方が具体的紛争の解決を求めているわけでもないのに国家権力が積極的に介入している異常さがまず目立つわけです。
そして、労働法学研究者が異論なく共通して声明で求めたこととは、組合活動の正当性判断を真摯に行えということです。もともと労働組合の活動は、労働法が生まれる前の社会でいえば、ストライキであれば類型的に威力業務妨害罪に該当するし、嫌がる使用者に要求を突き付ける団体交渉であれば強要罪の犯罪構成要件に該当するから、刑事弾圧をうけてきたわけです。

 

したがって、労働基本権の保障とは、ストライキ等の団体行動が正当な組合活動であるかぎり、犯罪構成要件に該当するような行為であれ刑事責任を追及しないこと、つまり刑事免責を確認したことを意味しますから、労働法の世界からいえば、組合活動を刑事訴追するのであれば、組合活動としての正当性がないことを明確にしてもらわないと困るわけで、組合活動としての正当性の有無をいわずに威力業務妨害だ、強要だ、恐喝だという議論はないだろうということです。関生労組は、これまで不当労働行為の救済を求める過程で、労働委員会の資格審査で適格組合として認められている労働組合です。その組合が行った組合活動に対して、組合活動の正当性の評価抜きに刑事訴追することがあってはならないわけで、警察も検察も公務員として憲法遵守義務がある以上、労働基本権の保障の意味を理解して対応して欲しいと。その点に関しては労働法学をやっている者もほとんど異論がなかったと思います。

職業別労働組合の特性への無理解

とはいえ、今回の事件がなぜ一般社会でなかなか関心をもってもらえない、あるいは関生労組の活動が一般社会で理解してもらえないのかという問題についてです。私も一度だけ大津の裁判を見学しましたけれども、あの若い検察官たちはもしかしたら関生支部の活動は本当に労働組合の活動としてはありえないと思っているのかもしれないと、その素直さ、屈託のなさに驚くとともに絶望感を覚えました。それはやはりストライキや争議が社会の中から消えて半世紀近く経つこともあって、争議行為への一般社会の理解がなくなったということもあるでしょう。しかし、何よりも日本で支配的な企業別組合の組合活動を前提にして労働法を勉強してきた彼らには、職業的利益を確保するために労働市場のレベルで活動する労働組合というのは理解ができないからではないか、そんな気がしました。
 



レジュメに組合活動の原点として「労働市場の統制」ということを書いていますが、労働組合の歴史をたどれば職業別労働組合というのがまず生まれてくるわけです。職業別労働組合は、労働市場のなかで自分の腕を頼りにして生活する職人さんや熟練職工の労働組合ですから、どのようにして自分達の仕事や労働条件を確保するのかと言えば、この仕事に関して俺たちはこれ以下の賃金では働かない、これ以下で働くやつとは一緒に仕事はしないという自治的規制が基本的な出発です。いってみれば、労働市場で仲間内での競争を制限することが自分達の職と労働条件を守る手段であったということです。それゆえに、労働者の団結活動は、取引の自由を阻害する、営業の自由を阻害するということで国家から禁圧されてきたわけです。したがってまた、労働組合の団結活動の法的承認とは取引制限や競争制限法理からの解放にあったということなのです。



イギリスでいえば、「取引制限の法理」からの解放として「目的が取引制限にあるだけでは違法と見ない」、あるいは、共謀罪からの解放過程では、「個人でやれる行為が集団でやったとしても犯罪と見ない」といった論理をとることで刑事的処罰から解放され、労働組合活動というのが認められてくるわけです。その意味で、労働組合活動は、労働市場で競争を制限する活動から始まったこと、また、団結権や団体行動権の承認とは、競争制限法理からの解放を意味するというプリミティブなことを押さえておく必要があるわけです。後でお話する、関生労組のコンプライアンス活動もそうです。コンプライアンス活動の目的は単に安全を守るためだけの活動だけではなく、安全基準を守らない労働、品質基準や環境基準を守らない製品は、不公正な競争であり、自分たちの仕事を奪うことになるということで、自分たちの仕事を確保するための不公正な競争を防止するための活動でもあるのです。

現行法にみる競争制限(不公正競争排除)と自治的規制

もっとも、組合活動に競争制限行為が含まれるというのは職業別組合だけに限りません。労組法18条には労働協約の一般的拘束力という制度がありますが、これは、協約の適用を受ける労働者が一定数以上になった場合、協約当事者の申し立てで、未組織事業所にも協約を適用するものです。換言すれば、協約賃金より安い賃金でビジネスチャンスを広げる不公正競争を排除し、協約水準の労働条件を提供できない企業は潰れてもしかたないとするものです。
 




ドイツやフランスのような大産業別組合が支配的なところではよく用いられているものですが、日本では企業別組合が支配的ですので、戦後の一時期を除きほとんど使われたことがありません。しかし、このような制度をもっていること自体労働組合運動が労働市場における競争制限と不可分一体であること、そして、労働組合法の中には競争制限による労働者保護の発想があることを忘れてはならないと思います。また、労働組合が労働条件を確保する方法は、今日、企業別組合や産業別組合の場合、団体交渉を通して労働協約を締結する交渉的規制が一般的ですが、職業別労働組合場合、自治的な規制に特質があると先ほどいいましたが、この点も現行法にその名残をみることができます。職業別労働組合の自治的規制とは基本的にはジョブとショップのコントロールです。




この仕事はこれ以下では働かないし、これを守らない奴とは一緒に働かない、あるいは、当該職には組合員だけを就けるクローズド・ショップを敷く。そういう仕事と雇用のコントロールを労働組合が行ってきた歴史があるから、労働組合の労働者供給事業が認められているのです。ご存知のように職安法は民間の労働者供給事業を一般的に禁止していますが、労働組合には例外的に認めているのです。このように労働協約による労働条件規制以外にも労働者の雇用や労働条件の確保を図る組合活動はあるし、それを現行法も認めていることを忘れるべきではないのです。私が、労働組合が労働者の経済的社会的地位の向上を図る手法には、労働協約の締結という交渉的規制の他に、自治的規制の手法があるというのは、このような労働組合機能を現在でも確認しておくべきと考えるからです。

職業別労働組合の団体行動における特性

関生事件が理解されない背景には、職業別労働組合の自治的規制手法への無理解だけでなく、団体行動の特性についての無理解もあると思います。たとえば、職業的労働組合にとって争議行為の際にストライキ労働の投入防止策は不可欠です。



労働移動が多い専門的職能の労働組合で考えますと、自分たちがストに入った時に、代替労働が入ったらストの意味が全くないわけです。代替労働力を配置させないためにピケッティングをやるというのがもともと職業別労働組合の一般的形態です。
このことの歴史的経験も現行法に反映されています。ご存じのように職安法でスト代替労働の紹介を禁止しています。また、派遣法もストライキ中に派遣労働者を入れることを禁止しています。



ですから、たとえば、関生支部の日々雇用の運転手さんがストライキに入ったとき、その事業所に例えば他の運送会社の運転手を入れて操業するというのはストライキ労働なので、やってはいけないことなのですが、そんな当たり前のことが今日では共有されておりません。企業には操業の自由があると思いこんでいる。操業の自由というのは、自分の従業員を使って操業であって、スト代替労働者を利用しての操業ではないのです。そういう職業別労働組合の闘争手段の経験が生んだスト労働禁止の意味を忘れてきているのではないかと思うのです。

協同組合と労働組合との連携行為の必然性と許容性

最後にレジュメに「労働法学にとっての課題」と書いてある点ですが、今回の事件の最も特徴的な点は協同組合と労働組合との関係を問うているということです。これは我々労働法学研究者がほとんど検討したことのない論点ですので、正面から議論しないといけないと思います。

先ほど言いましたように、資本主義経済社会の労働運動の中で生まれてきたのが協同組合であり、または労働組合です。
 




ですから協同組合と労働組合というのは兄弟みたいな部分があるわけですよね。実際、協同組合が基本的にはより大企業等の強い資本に対して自分たちの交渉力を確保するために組合を作り、共同受注、共同販売することで競争制限することが独禁法の適用除外として認められている。競争制限行為が認められるという意味でいうと、労働組合と同じです。

 レジュメにも書いておきましたけれども、私は労組法上の労働者を「他者に労務提供して生活する者で、経済的社会的地位の向上をはかるための団結行為が競争法に抵触しない者」と理解しています。それは、労働組合が法的に承認される過程では競争法によって禁圧されたことを踏まえてのことです。

 


ですから、たとえば個人就業者であったとしても、団結して自治的規制や交渉的規制をしたとしても競争法に抵触しない存在である限り私は労組法上の労働者として理解しています。

このように協同組合も労働組合も独禁法の中で例外的に競争制限が認められている存在なわけですから、その競争制限行為を連携してやることが非難されるものではありませんし、自分たちの経済的社会的地位の向上のために協同組合との一面共闘を打ち出す関生支部の政策には論理的必然性があるだろうと思います。同時に協同組合が他方では使用者ないし使用者団体としての側面があることから、協同組合に対して交渉を求めることも、これもまた当然であろうと思います。

ステークホルダー民主主義
 
あとレジュメの最後の部分は事件とは直接関係ないのですが、先ほど鎌田さんが市民団体との連携をとおっしゃった点は、個人的にはステークホルダー民主主義の問題と理解しています。近年、労使関係の原理には、団体交渉を基軸にした交渉制民主主義、従業員代表システムとしての代表制民主主義のほかに、ステークホルダー民主主義があると言っているのですが、これは、企業という法人はステークホルダーのモニタリングなしには一人前の市民にならない。



したがって、労働組合は市民団体と連携して企業活動のモニタリングを行うことが不可欠として、団体行動権にモニタリング権能を含めて理解すべきとの立場をとっています。

差別や障害、ジェンダー等の市民権的労働問題についてはとくに有効と考えています。このような文脈でいえば、コンプライアンス活動という形で展開する組合活動をモニタリングの一つの形態であり、対抗的な労使関係の中でのモニタリングというふうにも理解できると思っています。



さらにいえば、モニタリングを団体行動権と理解する場合、伝統的には労働組合にのみ認められていた団体行動権というものを広く市民団体といった結社にも認められるのではないか、そのような議論が必要だと個人的には思っています。

海渡:毛塚先生、どうもありがとうございました。非常に深みのあるお話をいただいて、私もずいぶん触発されました。今日のレジュメの19頁から「スト権否認の歴史と生コン支部弾圧の歴史位相」という雑文を書いたんですが、その出発点のところで書いたイギリスの労働運動に共謀罪が初めて適用されたジャーニメン・テイラー事件というのがあります。

 1721年の事件です。これは織物工が、これ以下の賃金では働かないということをもとにした事件なんですね。今日先生が言われた職業別労働組合が自分たちの織物工としての労働力をこれ以上安売りしないと言ったら、それが共謀罪に問われた。まさに競争の制限、そしてそのことを通じて雇用を守っていくのが労働組合運動の原点だということがわかって、今日のシンポジウムを通じて生コン支部がやってきた運動の理論的位置づけまでできる大変重要な報告をいただきました。本当にありがとうござます。
 

続きましてはですね、国際人権法の専門家である青山学院大学の申惠丰(しん へぼん)先生から国際人権法に保障されている団結権、団体行動権、ILOの先例などに触れて報告をいただくとともに、先ほど小田弁護士から報告がありました身体拘束禁止の規定の観点からも生コン事件というものをきちっと検証してみたいと思います。先生よろしくお願いします。

関生弾圧が国際人権法にふれるこれだけの理由
申惠丰さん(青山学院大教授、国際人権法)から

申:みなさん、こんにちは。申と申します。お手元に資料がいっているかと思いますが、スクリーンの方では写真もいくつかお見せしますので、適宜スクリーンもご覧下さい。

国際人権法から見た2つの問題点

私は国際人権法が専門で、本日は、この関西生コン事件を国際人権法の観点から考える報告をしたいと思います。事件の概要はすでに詳しいお話がありましたが、関西生コン支部が行った、建設工事現場での違法行為の指摘や、法令違反に関するビラまき行為などのコンプライアンス活動に対して、威力業務妨害などさまざまな容疑で逮捕・勾留が繰り返されているという事件であります。
 

労働法の視点から毛塚先生からもお話がありましたが、本来は労働組合の活動として免責が認められるべきものが、刑事責任を問われるという事態になっているという異常な側面があるわけです。そして、本日のコメンテーターを務められている海渡弁護士が『世界』に寄せた論文でも指摘されていますが、「労働運動への共謀罪型弾圧」が始まっていると見ることもできます。なお、民事の事件では、関西生コン支部のコンプライアンス活動に対して業者が業務妨害を訴えた星山建設事件がありますが、この事件では、大阪地裁と大阪高裁で、組合の正当な活動の範囲内であるという判決が出ています。すでに『労働法律旬報』(1852号65頁)でも紹介されている事件です。
 

国際人権法の観点からは、主に2つの点を指摘したいと思います。1つ目は、労働組合の正当な活動に対する弾圧=労働基本権の侵害という側面、それから2つ目は、認められた人権(この場合は労働基本権)の行使を理由として拘禁されている点で、恣意的拘禁という人権侵害と捉えることができるという点です。

国際人権規約での労働基本権の保障

まず、労働基本権に関してです。国際人権規約という、日本も入っている人権条約があります。社会権規約、自由権規約という2つの規約からなっていて、社会権規約の方は教育の権利や社会保障の権利、労働関係の権利など、自由権規約の方は表現の自由や結社の自由などを規定しているんですが、実は、労働組合の権利は、両方の規約に入っています。



社会権規約8条では、「すべての者が労働組合を結成し、加入する権利」という形で入っています。そして、自由権規約の方では、「結社の自由」の一環という形で、労働組合を結成し加入する権利というのが入っています。労働組合権は、社会権規約でも自由権規約でも保護されている権利ということになります。そして、社会権規約は8条で、労働組合が行動する権利を幅広く保障しています。同盟罷業をする権利という形で、ストライキの権利も規定されています。

ILO(国際労働機関)による労働組合権の保障

このように、自由権規約・社会権規約という国際人権規約の中で、労働組合権は保障されているわけですが、もう一つ、この分野の専門的な国際機関であるILO(国際労働機関)による保障があります。

この写真は、スイスのジュネーブにあるILOの建物です。ILOというのは、今から100年くらい前、第一次世界大戦後にできた、非常に歴史が古い組織です。その歴史的背景としては、第一次世界大戦に先立つ時期、イギリスの工場労働者などヨーロッパ各国の労働条件は非常に悪く、国境を超えた社会主義の運動なども生まれていたのですが、いったん戦争になったら、各国の労働者はワーッと戦争を支持する方向に向かったんですね。インターナショナルなはずの労働運動が、ナショナリズムに負けたという歴史があるわけです。それでILOという機関は、労働者の社会的な不満が外に向かい戦争に向かったという恐ろしい経験を踏まえて、第一次世界大戦後、国際連盟と同時に創設されたの組織です。昨年ちょうど創設100周年を迎え、その記念式典も行われました。これがその写真です。
 



ILOというのは非常に特徴のある機関で、最大の特徴は三者構成であることです。政・労・使の3者構成で、ILOの総会にも、加盟国の政府代表だけでなく労働者代表と使用者代表も別途に出て、票を持っているのです。日本からは、日本政府と、労働者代表として連合、使用者代表として経団連が参加しています。昨年はハラスメントに関する新しい190号条約ができましたが、日本政府と労働者代表は賛成したのに、使用者代表の経団連は棄権しています。

ILOは非常に多数にわたる条約を採択して、国際的な労働基準を設定しているのですが、特に、①結社の自由・団体交渉権、②児童労働の禁止、③強制労働の禁止、④差別の撤廃という4つの分野を重視していて、この4つの分野にかかわる条約は「基本8条約」と呼ばれて「中核的労働基準」とされています。これらに関するILOの基準は、「人権条約」といってもよい内容のものです。

 基本8条約の中で、日本は入ってないものが2つありますけれども(105号条約と111号条約)、結社の自由・団体交渉権に関する87号条約と98号条約は2つとも入っています。87号条約は、労働者、使用者が自ら団体を設立し加入する権利などを定めています。98号条約の方は、労働組合に入らないこと、あるいは脱退することを条件に雇用されるといった不当な圧迫行為を禁ずる規定を置いています。



そして、ILOでは、こういうさまざま条約に国が入った後に、それをフォローアップするためのシステムがあります。国が条約をどのように守っているかを、専門家からなる委員会でチェックする仕組みがあるので。「条約勧告適用専門家委員会」と言いまして、日本からも立命館大学の吾郷教授が委員になっていますが、労働法の専門家が委員になって各国の条約履行状況の審査をする形で制度を運用しています。そして、その委員会が出した報告が、ILOの総会に上がってくるということになります。

 条約勧告適用専門家委員会の所見の例はたくさんありますが、例えば、ここに挙げた一つの例はキューバの例で、「正当な組合活動を行ったことに対する組合員の逮捕や拘禁は、たとえ短い期間であっても、87号条約で掲げられた労働組合権の侵害になる」と述べています。また、インドネシアのケースでは、「逮捕は重大な暴力行為又は犯罪行為があったときのみに限られる」ということを政府に勧告しています。

ILO「結社の自由委員会」の先例法理と関生弾圧

もう一つぜひ紹介したいのは、「結社の自由委員会」というものです。ILOでは、「結社の自由」はILO憲章自体に内在するものという考えから、関連の条約(87号と98号)を国が批准しなくても、結社の自由の侵害に関する申立をこの委員会が受理して審査できることになっています。ILOという機関という機関に入ること自体で、国は「結社の自由」原則を受け入れたと見なされているんですね。ですので、2つの条約に入っていなくても、ILO加盟国である限り結社の自由委員会によるチェックを受けなければならないのです。そして、労働組合の代表がこの委員会に直接申し立てをすることができます。例えば、韓国の例ですが、韓国の場合は87号、98号のどちらの条約も批准していません。ですけれども、ILOに韓国が入っているということで、韓国の労働組合が、組合への弾圧に関して結社の自由委員会に申立てをして、それについて委員会の報告書が出されています。資料はその最初の頁です。結社の自由委員会はこれまでに3000件以上のケースを扱っていますが、この韓国のケースは事件3238というものです。




この報告書では、「何人も、平和的なストや集会に参加したことをもって、刑事罰を受けたりするべきではない。また、組合員の逮捕や勾留がかかわる事案では、無罪推定原則が適用されなければならない」といったことが書かれていますし、現に勾留中であったハンさんという人などすべての組合員について、「その釈放のため政府は措置を取るべきである」という勧告も出しています。このようないろいろなケースが、「結社の自由委員会決定集」という形で一つの冊子になっていて、ここに表紙をお見せしているのが最新の第6版のものです。

これを見ていきますと、この中には、関生の事件もまさにあてはまるような先例法理が出てくるんですね。例えば、「組合活動を行ったことに対する組合のリーダーや組合員の拘禁(抑留・勾留)は、結社の自由の原則に反する」と言っています。それから、「正当な組合活動を行ったことを理由として、たとえ短期間であっても組合リーダーや組合員を逮捕することは、結社の自由の原則に違反する」、「組合員が逮捕や拘禁にさらされる限り、その国において安定的な労使関係がその国にあるとはいえない」とも言われています。抑留された者が速やかに裁判を受ける権利についても指摘されています。




また、これは先ほど毛塚さんからのお話を聞いていて関連すると思ったのですが、結社の自由委員会は、人が労働組合権と関係ない理由で有罪判決を受けた場合には、それは委員会の権限外の問題だが、「事柄が本当にその国の刑法にかかわることなのか、あるいは、労働組合権の行使に関することなのかは、当事国政府が一方的に決められるものではない。裁判所の判決文を委員会がきちんと見た後に委員会が決めるべき問題である」とも言っています。

それから、関生の事件では保釈中の人が非常に厳しい移動制限を受けて、組合事務所に立ち寄ってはいけないなどの制限を受けていますが、ILOの結社の自由委員会の先例法理では、「労働組合との関わりを理由として、移動の制限や自宅軟禁などの制裁を課すことは、結社の自由の原則に違反するとされています。

正当な権利行使に対する「恣意的拘禁」という観点

2つ目の論点に移りますが、正当な権利行使に対する恣意的拘禁という観点からです。

恣意的拘禁とは、国際人権規約の一つである自由権規約の9条1項で、「何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない」とされているものです。「抑留」と訳されているのは、英語正文ではdetentionで、日本語だと抑留とか拘留とか拘禁とかいろいろニュアンスのある言葉で使い分けしますけども、要するに身体を拘束することという意味です。「恣意的」とは、英語ではarbitraryですけれども、自由権規約委員会が「一般的意見」で解釈したところによれば、単に「法に反して」ということではなく、不適切さとか不正さ、予測可能性のなさ、合理性、比例性、必要性のなさといった要素を含むとされています。つまり、法的根拠があっても、自由権規約上は「恣意的」にあたる場合があるということになります。

 


同じく自由権規約委員会の一般的意見ですけれども、規約に保障された人権を行使した結果、逮捕・抑留されるのは「恣意的」であるということを述べています。この規約で保障された権利の中には「結社の自由」がありますので、先ほど述べた組合加入権を含めて、結社の自由を行使した結果、逮捕・抑留されるとなると、9条違反の「恣意的抑留」になるということです。

 今、「一般的意見」というものが出てきましたが、これは何かと言いますと、国が国際人権規約のような人権条約に入ると、入りっぱなしではなくて、各国がその条約の委員会によって、条約実施状況についてのチェックを受ける仕組みがあるんですね。この写真は、スイスのジュネーブにある国連のヨーロッパ本部内での人権条約の委員会の会合の模様ですが、条約に入った国が定期的に委員会に報告書を出して、このような会議の場で報告審査を受ける制度があるのです。




委員会の委員が、政府代表に対して、政府報告書の内容の疑問点などについて口頭で質疑応答しながら審査する、というシステムです。そして、委員会は、報告審査後に、個別の国、日本なら日本に対する「総括所見」というものを出して懸念事項や勧告を述べますし、その他に随時、すべての締約国に向けた所見として「一般的意見」を出します。

このような人権条約の委員会が出す所見とか意見は、それ自体は、国際裁判所の判決のようなものとは異なり法的拘束力があるわけではありません。先ほどふれた、ILOの委員会の報告書などもそうです。ですが、だからといって国はそれを無視していいかというとそうではなくて、自国が入っている条約のフォローアップを担当している委員会ですから、誠実に向き合い尊重すべきものということになります。

最高裁も判決で理由に

日本の最高裁も、2013年に、婚外子、つまり結婚していないカップルから生まれた子どもは、民法上、法定相続分が嫡出子の半分であることについて、憲法の平等規定の違反だということを述べましたが、その際、人権条約の委員会もそのような見解を示しているから、ということを一つの理由に挙げたんですね。自由権規約と子どもの権利条約という人権条約には、子どもはいかなる差別も受けない規定があり、自由権規約委員会や子どもの権利委員会は、日本政府報告書審査後の総括所見で、民法の相続分の規定は婚外子への差別であり是正すべきだと日本に勧告してきました。最高裁は、民法の規定を憲法違反と判断するにあたって、人権条約の委員会からこれは差別だという日本への勧告が出ているということを挙げたのです。
 



このように、人権問題を考える時にはもちろん憲法に照らして考えるわけですが、憲法を解釈する時にも、国が入っている人権条約がかかわってくるということなんですね。条約と憲法のどちらが上か下か、というのは学説的には議論があるのですが、人権条約の場合はどちらも人権保障を定めているわけですからその議論はあまり実益はなくて、憲法を解釈する時にも人権条約を考慮しなければならない、という流れになっているということです。ですから、日本が入っているILOの憲章やILO条約、国際人権規約のような人権条約の規定や条約の委員会の意見なども参考にして、国内の人権問題を考えていかなければいかないということです。

人権理事会の恣意的拘禁作業部会では

人権条約とはまた別に、国連の人権理事会の制度もあります。この写真は、国連人権理事会の議場です。

国連人権理事会の制度の中で、「恣意的拘禁作業部会」というのがあり、恣意的拘禁に関する問題を取り扱っています。この作業部会には、恣意的拘禁を受けたという個人が、申し立てをすることができます。例えば、これは、ウィキリークスというサイトを運営していたジュリアン・アサンジさんのケースです。



日本からの申立では、統合失調症の男性が、焼肉屋でコーラを1本万引きしようとしただけで、警察に通報されそのままヘリコプターで病院に搬送されて、半年間も強制入院になったというケースがあります。代理人弁護士が恣意的拘禁作業部会に申し立てをした結果、この委員会が、これは障害者に対する差別に基づく恣意的拘禁だという意見を出しました。このように、日本からもこの恣意的拘禁作業部会に申し立てが出ていますし、関生のケースも、場合によっては、労働組合権の行使を理由とした恣意的拘禁であるという主張をして作業部会に通報することは十分可能であると思います。



先ほども触れましたが、人権条約の委員会の所見にせよ恣意的拘禁作業部会の意見にせよ、それ自体は、報告書とか勧告という形であって判決ではないわけですけども、日本が受け入れている国際人権規準についての所見であって、日本は傾聴しなければならず、無視していいものではありません。

ちなみに、国連人権理事会の中で強制失踪作業部会というものがあり、拉致問題のような人権問題を扱っていますが、これには日本政府も積極的に協力をしていて、作業部会のやっていることに意味がないとか拘束力がないとかは日本政府は全く言いません。

 以上のように、この関生事件も含めて、日本で起きている人権問題に対して、日本の憲法や法律はもちろんですが、国際人権法の視点を入れて考えると、日本で起きていることがいかに問題があるかよく分かる思います。私の方からの報告は以上となります。

海渡:申先生どうもありがとうございました。実は僕も小川さんと一緒に国賠訴訟の弁護団をやっているんですけども先生に今教えていただいた結社の自由委員会の先例法理等々をそのまま引用しなければいけないものもいくつかあると思いました。とりわけ通常の労働組合活動を行っている区域の立ち入り禁止みたいなことをしてはいけないなどです。あとで先例を教えていただきたいなと思います。本当にどうもありがとうございました。

続きまして、今度はジャーナリストの安田浩一さんです。安田さんは実は生コン支部の事件、以前に弾圧をうけた時の取材などもジャーナリストとして取材されたと伺っております。今回と比較してですね、こういう弾圧というかフレームアップのされ方だとか、それに関するメディアの関わりだとかそういうことについて考えることをお話いただければと思います。よろしくお願いします。

関生支部は「社会のリトマス試験紙」
安田浩一さん(ジャーナリスト)から

弾圧されぱなっしの労働組合

安田:よろしくお願いします。安田と申します。以前取材していた時期というのは、週刊誌の記者をやめたばかりの頃だったと思います。なんで取材したのか。これは当然ですよね、弾圧され続けてきているからです。関生の弾圧というとここ2、3年の出来事のように感じられている方もたまにはいらっしゃるかもしれませんが、もうずっと弾圧されっぱなし。生まれた時からやらっれぱなしというのは関生である。やられ慣れているところもあるので、逆に支援の方々は「また関生かよ」と終わらせてしまう方も結構いらっしゃるんだけど、しかし、これは大事な問題です。関生というのは常に権力の矛先が向かう。向かうところに必ずいるので、ぼくはある種「社会のリトマス試験紙」と見ているところがあるんですね。




国家権力は、やりたいことをとりあえず関生で試すのかもしれない。そういう気もするわけです。労働組合を潰すとか、労働組合を弾圧する、組合員を逮捕する、或いは社会の関心として労働組合を悪者に仕立て上げる。そのいわば実験台として関生を利用している部分もあるんじゃないか。それだけに弾圧しやすいし、そして、関生は弾圧しても弾圧しても生意気にも立ち向かってくるというところもあるので、なかなか潰れない。そうした形で権力との闘いというのはかなり長期化しているのではないかと思います。

なんで、関西生コンがこれほどまでに闘い続けてきたのか。弾圧され続けてきたのか。取材してみて、色んなことが見えてきました。僕は生コンのことは全く知らなかった。生コンって、文字通り生ものなんですよ。ですから、木材であるとか、建築資材、他の建築資材と違って生もので、すぐに硬くなってしまうから、急がなくてはならない。

生コン労働者が「練り屋」だった頃

今世紀初めに取材を始めた時、覚えた言葉があるわけです。結構年配の生コン労働者の方々が自らのことを練り屋と言う。練り屋とか練り混ぜ屋、運び屋なんて言う人もいましたね。こうした言葉が、そのまま生コン業界というものの立ち位置を示していると思うわけです。建設業界というのは、ゼネコンをトップにして様々な業界がくみいっているわけですけども、生コンというのは建設業界のヒエラルキーの中で、嫌な言葉ではあるけども、かなり下位を占めていた経緯があるわけですね。

1950年代までは現場練りが主流だった。どういうことかと言うと、袋詰めしたセメントを工事現場に持って行って、その場で骨材と水を加えて練り混ぜる。この作業をするのが生コン屋さん、つまり練り屋の仕事だったわけです。骨材と水とセメントを合わせて、それをモップで運んで打設する。生コン労働者の原初的な姿というのはそこにあった。ヒエラルキーの下位にある生コン労働者がずっと虐められてきた。



よく谷間の業界と言われてますけど、ゼネコンとセメントという大資本の間に挟まれて、その谷間で生コン労働者はずっと生きてきた。労働条件は相当劣悪だったわけです。50年代、60年代に生コン労働者だった人の話を聞いたり、資料を読んだりしました。労働条件は最悪なんです、資料を読むと。休みは正月の3日間プラス雨が降った日。ですから疲れた時は雨が降ることを祈るんだけど、雨が降ると仕事にならないから給料が下がってしまう。だから苦渋に満ちみちた毎日を過ごすわけですね。しかも当時の生コンは24時間操業です。24時間操業の中で仕事を、いわばシフトを組んでやっている。

ジャックナイフで脅される

そして、1960年代くらいからだんだん生コン労働運動が盛り上がってくるわけなんですね。盛り上がってくる中、徳之島から大阪に渡って労働運動に参加し、名前をあげていったのが、今獄中にいらっしゃる武建一さんです。

ちなみに、武さんは徳之島の出身だけども、生コンの労働者というのは80年代くらいまでは九州とか沖縄とか東北、北海道という地方出身者が非常に多かった。プラス自衛官。自衛隊出身者です。大型特殊の免許を持っているということもあったので。地方出身の方と自衛官出身の方、こうした方が生コン労働者としてかなり揃っていた。



経営者が言うにはなぜ地方出身者と自衛官が多かったのか。体が丈夫、忍耐強い、それから経営者に対して従順な人が多い。これが誤った見方なんですね。劣悪な労働条件の中で真っ先に立ちあがったのも地方出身者と自衛官だったわけです。そうした人々が労働運動を作った。

それなり過激な行動をやらざるを得なかった。なぜならば経営者側もヤクザだったりヤクザ的体質であったりで、この話をすると長くなるんだけど、武建一さんなんかは労働運動で立ちあがった時に真っ先に目に飛び込んできたのはジャックナイフだったわけです。つまり、組合を作ったらナイフで脅される風景の日常があった。そうした、やるかやられるかという中で労働運動を進めざるを得なかったという、他の業界とは少し違った環境の中で運動が進められてきたわけですね。

ダンピングを防ぎ「質」を確保―労働組合の2つの役割

ただ、そうしたやるかやられるか、ジャックナイフに対してどうやって対抗するのか考えただけでは業界は少しも前に行かない。生コン業界は経営者ですら中小零細企業ばかりです。中小零細企業は労働者と、賃金や待遇をめぐって闘いながら、一方では自分の隣にいる業者、同業者間でも激しく闘っていた。消耗するわけですね。じゃあ、どうしたら良いのかってことで生まれてきたのが協同組合運動だったわけです。

ゼネコンから生コンを協同で受注し、それを加盟各社に割り振るシステムを協同組合は作った。ダンピング競争が生まれないようにしましょう、ダンピング競争をすることによって生コンの質が落ちますよね。それを止めましょうと。鎌田さんが安全点検運動と言いましたが、まさにその先駆けです。



労働組合の役割は2つあった。ダンピングを防ぐこと。それで中小企業、零細企業の無駄な競争を止めましょうということ。それから業界の健全化。ダンピング競争を止めて業界をみんなでもって受注して、共同購入、共同受注という形でやることによって質も上げていきましょうと。作業の質、それからコンクリートの質を。そうした運動に労働運動と経営者側が一緒にやっていくというのが協同組合運動だったわけです。

建設不況の底で経営者も「団結」
 
95年くらいに、今問題となっている大阪広域生コンクリート協同組合、いわゆる広域協ができるわけです。広域協の結成も関生が一枚かんでいるわけです。95年に設立した時に、きっかけはバブル崩壊後の建設不況だったわけです。受注減に苦しんだゼネコンがそのつけを生コン業界に求めてくる。生コンを安くしろ。今不況なんだからと。生コン価格が大幅に下落し、生コンの質も下がってくる。当然業者もどんどんどんどん倒産していく。これがどうにかならないのか考えた中で一致団結したわけです。
 



つまり生コンの経営者が一致団結して大企業、大資本と向き合う、そして、業界の健全化に取り組むというのが協同組合の役割になった。名ばかり資本家に過ぎなかったものを、いかに業界のために中小零細企業のいわば雇用のために作ったのが大阪広域協だった。そこに労働組合も参加して、いわば両組合運動。労働組合運動と協同組合運動というのが車の両軸として走りだすことによって大阪の市況は安定していったわけですね。

成功が気に食わない者たち
 
安定したけど気に食わないのはゼネコンなわけです。だって、大阪は都心より高い。生コン価格が。高いということはどういうことか。賃金も高い。取材した時によく言われるんですよ。東京とか北海道或いは沖縄、九州。地方の生コン産業に従事している人から、大阪の生コン屋さんの賃金は高いんだよね。なんで賃金が高いのか。つまり真っ当な労働運動が行われているからですね。生コン労働者の賃金が安くても良いなんて法律はどこにもない。どんな企業だって賃金が高い方が良いんだけれども、大阪の生コン業者の賃金というのは他都道府県から比べれば、やっぱり高い。



高いのは労働運動が勝ち取ってきた成果だ。時には血を流しながら、時には弾圧を受けながら、そして、時に大資本、大企業と一緒になって研究しながら業界の底上げを図ってきた。これは成功例です。

しかし、この労働者の成功例を気に食わない者がいる。誰なのかというと国家権力であったり、大資本であったりが出てくるんだけども、こういった構造というものを周到に取材してきた。そして、取材して書いた。正直に言ってそれで終わりだと思ったんです。これからも色んなことがあるだろうと。弾圧もあるだろう。しかし、これは生コン労働者のある種与えられた宿命のごとく、これからもどんどんどんどん打ち破っていくんだろうなと思ったんです。

昔はヤクザ、暴力団が

ところが2018年以降結局僕も関わらざるを得なかった、注視せざるを得なかったのは、レイシストが出てきたからです。もともと労働運動に対してヤクザが介入してくるなんてのは、ここにいらっしゃる皆さんも大体経験されていると思う。そうですよね。中小零細企業で労働運動をやられて参加してきた方が多いでしょうし、或いは党派的な方も多いでしょうし。色んな意味で国家権力に動員されてきたヤクザの介入と闘ってきた方も多かった。戦前が一貫して労働運動というのは、労組潰しのヤクザ、暴力団、右翼と闘ってきたわけですよね。それを後押ししてきたのが時の政権だというのはみんなが知っている。今国会で日本共産党に対して暴力革命云々って言ってるけど安倍が言ったんですよね。それを受けて紛糾はしているけれども、共産党が暴力革命なわけねえだろうと怒り出したのも、非共産系労働運動に参加してきた皆さんが一番わかっていると思うけど。

 

一番の暴力政党はどこかといえば自民党ですよ。55年の保守合同の前からずっと暴力団とつるんで、時には反共抜刀隊と称してヤクザの親分を引き連れて赤潰しをやってみたり、或いはみなさんも参加したであろう60年、70年安保の時にはテキ屋であったり、右翼であったりを組織してですね、60年に至ってはハガチー訪日歓迎委員会などを作ってヤクザの大同団結に手をかすみたいなことを一貫して保守政党はやってきた。保守合同の前から、或いは自民党の結党以降もずっとそういうことをやってきた。自民党は労組潰し、つまり暴力的な労組潰しの大本としてふるまってきたわけです。

 そうした中で今回はちょっと風景が違ってきたわけです。これまでは例えば恐そうな暴力団員が会社の労務に介入してくるなんてことは日常茶飯事だった。生コン業界なんて特にそうだった。ある日突然やってきた「労務担当役員」が現役のヤクザだったなんてことは頻繁にあったわけです。或いはストライキをやっていると、ピケをやっているといきなりストライキの現場にヤクザが押し掛けて棍棒を振りかざして追り払うなんてことは日常的にあった。

今回の弾圧の最初のホイッスル

今回は違うんですよ。今回も右翼が絡んできた。あるいは非常に反社的な人間が絡んできた。ネトウヨなんですよ。ネトウヨだったらまだいい。もっというと人種差別主義者。レイシストだったわけですね。これがこれまでの暴力団介入とまた違った風景を呼び起したわけです。つまりネットを駆使しながら根拠のない情報をもって人間を差別し、排除し、そして、その差別を扇動するグループが経営者側について関生攻撃を始めた。これがいわば最初のホイッスルだったわけですよ。そこから関生弾圧というのがなし崩し的に始まっていくわけです。
 



この時に参加していたレイシストたちがどんな連中かというと、例えば最近川崎で事件が多いですね。小学校だったり、高校だったりに対して、在日コリアンを死ねとか、殺せとか、脅迫状まで届いている。川崎はここ数年、そうした差別、人種差別の最前線でした。2013年以降レイシストグループが川崎の街中を練り歩く風景というのは目にしたことがあるかもしれません。○○人は出ていけ、○○人は死ね、○○人は殺せ、そうした掛け声をかけながら日章旗だとか、旭日旗であるとか、ハーゲンクロイツ、旧ナチスの旗まで持ち出して人を徹底的に差別し、排除し、追い出そうとしていたのがこのレイシストグループですよ。そのレイシストグループが関生弾圧の犬として登場したわけです。

レイシストを「先生」と呼ぶ広域協

2018年。唐突だったんだけれども、2018年1月8日大阪ですね。大阪の駅前で、ある集団が関生攻撃を始めた。関生は反日売国奴。そうしたロジックをもって関生攻撃を始めたんだけれども。その街宣に、その先頭に立っていたのがまさに川崎でもって旭日旗をふるい差別をやっていた、川崎だけでない東京の新大久保、大阪の鶴橋で、各地で在日コリアンの集住地域で外国人は出ていけ、韓国人は出ていけ、朝鮮人は出ていけ、殺せ、死ね、それを繰り返してきたグループが突如関生は反日というロジックをもとに街宣の現場に出てきたわけです。ここから幕が開くんですね。今回の弾圧の。

それだけじゃない。彼らはネットを駆使し、ビデオカメラを持ち、たとえば関生の事務所に押し掛け、そして、それを写してユーチューブをはじめとするさまざまなネット媒体にアップロードする。問題なのは単に関生を攻撃しているだけじゃなくて、攻撃している連中がレイシストであるという、人種差別主義者であること。

 

そうしたことによって、つまり人種差別主義者に力を与える恐れがあったわけです。私の知っている限り、彼らは大阪の広域協、つまり協同組合と一緒になって運動を起こしているわけですね。義侠心をもって。関生をやっつけるために。

 広域協の方々はレイシストの先頭に立っている人物を「先生」と言っている。先生ですよ。なんで人種差別の親玉を先生と呼ぶのか。こうしたメンタリティーをもった人間と、現実の人種差別主義者がむすびついて関生攻撃を行っている。これは単純に労働運動潰し、或いは労働運動攻撃というだけでない。問題なのは労働運動潰しをしている側がレイシストであるがゆえに人種差別に、そしてレイシズムに力を与えてしまうということ。企業がバックについているんですから。それで国家はそれを支援するような形で弾圧をおこなう。彼らの発言というものがますます過激になると同時に関生を潰すことによって、より大きな米櫃を与えてしまうということに私は危機感を覚えた記憶があります。

瀬戸弘幸氏らの登場で浮かぶ「時代」の断面

彼らが何者かということに関してはだいたい皆さんもご存知かもしれません。もともとリーダーの瀬戸弘之というのはネオナチですよ。90年代に取材したことがあります。90年代はまだネトウヨとかはいなかった。ネットがなかったから。或いはレイシストなんて言葉もなかった。ヘイトスピーチなんて言葉も流布されていなかった。90年代。瀬戸弘之たちは街頭の電信柱にステッカーを貼っていた。一風変わったステッカーがペタペタ貼られるという事件が90年代初頭にあった。どんなステッカーかというと鍵十字が書いてあって外国人を追い出せと。
当時の外国人と言ったらイラン人だったんです。日本の労働力として、日本政府黙認のもと資格外滞在として働いている時代があった。こういうイラン人が増えることによって治安が乱れる、追い出せと一部のレイシストが始めた。そこにいた人間が瀬戸さんですよ。

 

そして今は関生と向き合っている。一貫してレイシズムの道を歩んでいる人間が反関生、関生弾圧の先兵として、犬として登場したというのが一つの時代の流れじゃないかと思っています。彼はそれまで散々人種差別の運動の首謀的人間だったわけです。在日特権を許さない市民の会のリーダーである桜井誠の保護者役としてつながり、そして今でも関生弾圧だけでなく、差別運動の先頭に立ち続けているということなんです。ヒトラーを信仰し、そして他民族の抹殺を主張し、国内から朝鮮人出ていけ、韓国人出ていけ、そうしたデモ行進の時に首謀者となり、そして今なお関生を反日売国奴と罵りながら弾圧を推し進めている。こうした人間と国家権力のいわば結託によって関生の弾圧の背景が見えてくるんじゃないかなという気がします。

 差別者に餌を与えるな

私は関生を守るという運動はもちろん大賛成です。もろ手をあげて賛成すると同時に、これは重大な人権問題がからんでいるわけですね。つまり、差別者に餌を与えるな。



差別者に資金を与えてはいけないし、差別者に餌を与えてはいけないし、差別者に発言の場を与えてはいけない、差別者に水を与えてはいけない。干上がらせなければならない相手を肥えさせているような今の現状を十分認識したうえで、この問題を注視すると同時に、ぼく自身も色々と関わっていきたいなと思っています。

【2】どうしてこんな大弾圧が―その背景を探る

海渡:安田さん、ありがとうございました。非常に衝撃的な中身でしたけれども、色々と関生関係についての本にも書いてあることなんですけど、現場を見てこられた安田さん、大変重い中身でした。それでは一巡したので、ここで第2セッションということで、「どうしてこれだけの大量の逮捕者が出るような大弾圧が起きているのか。どういう社会的背景の中で可能になっているのか」、今の3人のパネラーの皆さんの発言の中にも出ていたとは思いますが、もう一度そこをつめてみたいというふうに思います。

最初に毛塚先生に伺いたいのですが、やっぱり日本の労働運動、労働組合運動というのは職業別の労働運動というものを忘れてきた、市民も忘れてきた、そして、労働組合というのは企業別に組織されてきた。そのことと、今回の職業別であった関生に対する弾圧に対して、検察官も本当に正しいことをやっているというふうに信じてやっているのではないかと非常にショッキングな発言でしたけれども、そういう状況を生んでいることを大きな根本になっている日本の戦後の労働組合運動の成り立ちのところがこの事件の背景にあるというふうにお聞きしたのですが、もう少し詳しく話していただけますでしょうか。

組合の仕事は団交に限られない

毛塚:私が申し上げたかったことは、労働組合には多様な組織形態と運動形態があること、とりわけ関生労組が職業別労働組合としての性格をもつことについて、裁判所だけでなく一般社会でも必ずしも了解されていないのではないかということです。関生労組が企業別組合でないことは確かですが、産業別組合としてのみ見ることでは正鵠を得ないのではないかということです。私が比較研究の対象としているドイツは、典型的に産業別労働組合の社会ですが、組合員数が数万人から250万人の大産別の組合です。産業別組合は、基本的に労働協約の締結によって労働条件の維持改善を図ること、つまり、交渉的規制を中心とする組合です。産業別組合というのは、労働組合の歴史からいうと、職業別労働組合の後に登場する組合です。機械化によって熟練が解体される過程で登場する不熟練労働者をも組織対象とする過程で生まれてくる労働組合ですので、一般的に定義すれば、企業帰属や職種を問わず、訓練・不熟練のいかんを問わず組織する労働組合です。

関生労組も企業を超えて労働者を組織するという意味では産業別組織ではありますが、生コン運転手等の職業的技能を持つ労働者の組合ですので職業別組合と言った方が正確だと思います。



そして、労働者の経済的社会的地位の向上を図る方法としては、先ほど申し上げたように、産業別組合の場合は、もっぱら労働協約の締結を中心にしますが、特定の専門的技能をもつ労働者のみを組織対象にして、自治的規制を含め労働市場の中で自分たちの利益を確保する運動を展開するというのは職業別労働組合に近いのだろうと。そこを押さえておくことが必要だと思います。

それと同時に、一番私が指摘したかったのは、労働組合は労働市場の中で活動する存在であり、その市場をどうコントロールするかでずっと悩んできたと同時に、労働組合が法的に認められるまでには、取引の自由や営業の自由を侵害するものとして、禁圧されてきた歴史があるわけですので、労働組合運動の中核に競争制限があるということを忘れてはならないということです。そういう発想が現在のわれわれ労働法研究者も含めて、弱くなっている。裁判官や検察官も或いは弁護士さんたちも団結法理が競争制限法理との格闘のなかで形成されてきたことを押さえておくことが関生労組の運動を理解する上では不可欠ではないかと。私はそう思っているわけですね。



そういうことの理解があれば、いくら日本が企業別組合中心の社会であったとしても、労働組合の多様性、運動の多様性というものを理解できるのではないかと。先ほども述べた労働組合の労働者供給事業ですが、ドイツでは認められておりません。それは職業別労働組合運動が必ずしも強くなかったからではないかと思います。いずれにしても、ジョブのコントールやクローズド・ショップによって労働組合が自分たちで職場を押さえ、労働者の雇用と職を守るという職業別労働組合の歴史的な経験を踏まえて、日本の労働法は労働組合の労供事業を認めているわけですから、労働組合が職のコントロールを労働市場のなかでやってきたことを法的世界にくみ取っておく必要があるわけです。僕はそう思って、職業別労働組合の行動原理を自治的規制というかたちで表現しているわけです。しかし、日本の労働法学の主流派というのはほとんど団交中心主義です。団体交渉で労働条件を改善するのが労働組合だと思っている。労働組合の仕事は団体交渉だけに限らない。さきほどモリタリングの話もしましたが、多様な手法を労働組合が持っていることを忘れてはならない。そういうことを今回の事件を通して改めて思った次第です。

ストライキをめぐる内外の意識の差

海渡:ありがとうございます。次に申先生に伺いたいのですけれども、日弁連の視察でフランスに行った時、空港行きのバスもタクシーも全部ストライキで動きませんというふうになったことがあるんですね。一緒に行っていた調査団のメンバーもみんなびっくりしちゃって、実は空港も動いていなかった。



でも、周りの人たちは「今日はストライキですからあきらめてください」と。みんなあきらめている。労働組合がストライキをやる、それによって多少不便が起きる。日常的なのかもしれませんが、ストライキについて、これだけ日本と海外、特にヨーロッパやアメリカもそうなのかもしれませんが、意識の差が生じてしまっている。どういう背景があってこうなってしまっているのかということについて、国際人権の観点からコメントいただければなと。

「スト=迷惑」論を超えて

申:たしかに日本でも、私も思い出しますが小さい頃はストで電車が止まったからということは時々ありましたが、最近はほとんどないですよね。本当にスト自体が珍しくなってきてしまって。フランスは私も在外研究で1年ずつ2回行きましたが、ストは本当にしょっちゅうやっていて、よくある光景になっているんですよね。

 私が思うのは、まず、ストに限らず、人権問題全般に言えると思うのですけど、日本だと、とにかく迷惑を人にかけてはいけないという世間的な規範がすごく強いですよね。人に迷惑をかけないというのは、人権の考えの足を引っ張っている面があると思うんですね。人に迷惑をかけないことばっかり、小さい時からずっと言われてきた結果、自分の権利が何かということをきちんと認識できないし、主張するのも何かためらってしまう。そういう風土が日本にはあるのかなと思います。



それから、ストに関しては、フランスは本当に日本の対極にあるんですけど、当然の権利行使として認められている。日本的感覚は迷惑ということにもなると思うんですけど、そもそもストというのは、作業活動を止めて迷惑をかけることによって使用者にプレッシャーをかけるわけですから当然それ自体は迷惑なわけです。事柄の性質上。そうじゃないとストの意味がないので。それを労働者の正当な権利行使として認めるという考えを日本でも根付かせないといけないですよね。もう少し労働者の権利というものをきちんと認めて、それに対する行使をまるで暴力団まがいものと見るような見方も跳ね返していかないといけない。何が労働者の正当な権利なのかをきちんと主張し、それを使用者も、行政機関も裁判所もきちんと認めて共有していくことが必要ではないかと思います。

ですから、この関生の件でいうと労働法研究者の方々が声明を出してくださったことなどは非常に大事だと思いますし、組合活動を何か恐いもののように見る印象操作をすることは良くない。労働者の人権なんだということを主張していく必要があると思います。

100分の1に減ったスト

海渡:ありがとうございます。今日のレジュメの30頁をみなさん見てもらいたいのですけれども。厚労省の「労働争議統計調査」というのを見ると、1974年に争議行為を伴う争議は9581件あったんですね。しかし、2017年には68件になっているんですね。100分の1以下に減っている。
 確かに我々の社会的な実感とも一致していますけれども、こういうふうになってきている中で、なおも労働争議も辞さない、ストライキもやる、そういうことをやっている生コン支部を狙って、もうそういうことを許されないんだという弾圧を生みだしたんじゃないかなと。



それを変えていくにはやっぱり労働運動そのものを再建していく、活発化させていく以外にはないのではないかなと思うのですが、安田さんにもちょっとお尋ねしたいのですけれども、先ほどお話いただいたヘイト集団が関わっているということと、この件について多くのメディアがきちんとした報道をしてくれないと。卑劣なこの事件が持っている労働基本権侵害という形での実態が報道されないということはさまざまな形で影響してますでしょうか。

1987年と1995年の「転換」とメディア

安田:それはあるでしょうね。社会の空気として労働運動だけでなく、あらゆる社会運動が敵視されるというのはどちらかというと今に始まったことじゃなくて、やっぱり長い年月を経てこうなった部分もあるかと思うのですけれども、一つの転換点は1987年の国鉄の分割民営化だと。あの時のメディアを思い出してくださいよ。どれだけ国労がたたかれたのか。国鉄労働者が非難されたのか。非難の仕方というのはひどかったでしょう。勤務時間内に風呂入っているとか、汚れてないのに風呂入っているとか、その程度でもって、反国労キャンペーンがメディアで一所懸命やられていた。これは何も政府寄りとされている新聞だけじゃなく、朝日新聞などもひどい。いかに国鉄労働者が怠けているか、いかにダメな人々の集まりなのか、あれ程ぼろくそに言っているメディアは他にないと思ったくらい当時の新聞は酷いわけですね。



もちろん、テレビもそうだった、雑誌もそうだった。それはまさに当時の中曽根政権の思惑だったわけですよね。総評を崩すためで、総評を崩すために国労を潰すということを、後に中曽根は明らかにしているわけでけどもその通りになった。メディアはそれに手を貸してきた。手を貸してきたというのは、内心、違うかなと思いながらも、しかしそれに乗っかることによって、自分はカッコ良いことを言ってやったぜみたいな感じがあった。そうした論調に何ら異を唱えることなく、分割民営べつにいいんじゃないのと。分割民営化に関する議論というのは色々あってかまわないんだけれども、労働運動を潰すことにメディアが加担してきた。今の労働運動のていたらくというのは、労働問題当事者だけでなく、メディア、私を含むメディアがどういう形で加担してきたのかということをきちんと考えなければならない。



もう一つは1995年です。当時の日経連が「新時代の日本的経営」というのを発表した。この時は、メディアはみんな万歳だったんですよね。すげえカッコ良いじゃんって。終身雇用止めましょう。好きな時に好きなだけ働ける非正規雇用を増やしていく。好きな時に働いて空いた時間に海外旅行に行ってという。1995年の「新時代の日本的経営」に関して、ものすごく危機感をもって取り組んでいた労働運動があったように思えない。

つまり労働運動の側も分からなかったのじゃないかなと。これがどういう社会を創り出していくのか、どんな高揚した空気をつくりだしていくのかっていうことに関して、労働運動の側もメディアの側もわからなかった。分かっていたのは経営者ですよ。

経営者には、これを進めることによって人件費を抑え、非正規を増やしていくというきちんとした未来予想図があったわけです。その通りになった。メディアの問題について言えば、その時に我々は危機意識は全く働かなかった。「自由に働いて、自由に休むことができる」といった未来を勝手に描いて、新しい働き方、新しい社会というものをそこに重ね合わせてしまった。その時には「雇用を守れ」と訴えている労働組合なんかは時代遅れもいいところだという認識が出来上がったわけですね。

当時の総評型労働運動にも問題があったと思います。今思えばですよ。なぜなら旧総評の労働運動というのは「非正規を作るな」という運動だった。非正規労働者を想定していなかった。

「非正規の労働者を守れ」じゃなくて、正社員を守るのであって、「非正規を生み出すような労働環境を作るな」という運動だった。その時点では正しかったと思う。

しかし、現実に非正規労働者が増えていった場合にどれだけ対応できたのかというと、労働運動の側も問われているんじゃないかなと。一所懸命やられていますよね。労働運動はさまざまな形で非正規労働者を取り込むことによって、一緒に歩むことによって、色んな空気を作り出していく。それはすごいことだと思います。すごいことなんだけれども、それに対して危機感を持った国家や資本というものが、どういう手で立ち向かってくるのかということもきちんと想像する必要があるんじゃないかなと思います。

いずれにせよメディアというのは1987年の国鉄分割民営化にもろ手を挙げて賛成し、労働運動潰しに奔走した。1995年の「新時代の日本的経営」に関しても何ら危機感を持たせることができなかった。そうした失敗を生んだ歴史がメディアにはあると思います。関生の弾圧に関して、どれだけのメディアが危機感を働かせているのか。どれだけのメディアが注視しているのか。そこは後半に言及できれば言及したいと思っています。

海渡:ありがとうございます。申先生が発言されたいことがあるというのでお願いします。

「反日」というキーワード

申:毛塚さんの報告では関生事件では使用者側は何も特に言ってないのに、国家権力が介入してきたというご説明、また安田さんの説明ではレイシストが介入してきて関生を反日というふうに言っているというお話があって、私はこれを聞いていて、変な意味で腑に落ちるところがあるんですね。というのは、反日というキーワードは、韓国人とか在日コリアンにも向けられますけれども、たとえば辺野古の基地の前で座り込みをして闘っているおばあちゃん、おじいちゃんたちに向かって、在特会の人たちが乗り込んで反日ということを言っているわけですね。



ですから、今の政権がやろうとしていることに楯突く邪魔な存在に向かって、この言葉が吐かれている。レイシストの人たちがそこで出てきて国家権力になり変って、そういう言葉を吐いている。そういう状況が今の日本であるんだと思うんです。先ほど、小川弁護士からもお話がありましたが、関生の方々というのは、特定秘密保護法の時とか、共謀罪の時とか、安保法制の時とかにきちんと反対の立場に立って意見表明されてこられて来た方々で。今の安倍政権の立場からするとまさに発言する邪魔な労働組合そのものですよね。だから、その意味も込めて、見せしめ的な意味も込めて弾圧しているんだというふうに見て間違いないのではないかと思います。ですから、その意味でも、レイシストが出てきて、反日と言いながら労組を潰そうとしている、というこの問題の本質がそこに出ているというふうに感じました。

国労攻撃と「ストをさせない社会」

海渡:ありがとうございます。僕はコーディネーターですが非常に面白い話題になってきたので、一言だけしゃべられせていただきたいと思うのですけども。僕も実は国労の弁護団を一所懸命やってまして、当時はほんとう国労弁護団の一番の若手みたいなかんじですね。分割民営化を阻止しよう、国民の足である国鉄線を守ろうということを一所懸命訴えて全国駆けずり回ったのを覚えています。よく覚えているのは中曽根政権が分割民営化の方針を打ち出して、選挙にうって出たことがありました。86年だったと思います。その選挙というのは結構重要で、分割民営化だけが争点になったか覚えていませんが、僕は大きな争点だと思っていたのですけれども、その時に野党はボロ負けするんです。その選挙にボロ負けした瞬間、「これはやられるかもしれないな」と思ったのを昨日のように思い出すんですけれども。中曽根康弘さんの証言録で、『天地有情』(聞き手・伊藤隆ほか、文藝春秋)という本が出ています。当時彼がどういう思いでやっていたのか。スト権ストの出来事と分割民営化の時の出来事をかなり得意満面に話をしている。



スト権ストの時は三木政権なんだけども、絶対に三木さんには譲歩させないという体制を、彼は自民党の幹事長なんだけれども椎名さんと結んで鉄壁の守りをしたと。だから一歩も譲歩させないでスト権ストを打ち負かすことに成功したんだと、そういうふうに言っているんですね。分割民営化の時にことも、ここで選挙にうって出れば絶対圧勝できるというふうに文面にあるんです。まさにそれが、分割民営化が止められなくなっていくという経過だったんですが、彼らは彼らなりに考えてやった。こちら側も一所懸命に反対運動やりましたけれども、世の中の流れとしては向こうが考えているとおりだったんだなと思いました。分割民営化は実は国鉄労働者がスト権を回復した過程でもあるんですね。民間の事業者だから。けれどもストライキができない体制になってしまう。国労は少数派に追いやられてしまったけども、その人たちを守って差別されない状態に回復していくということを一所懸命にやって、頑張ってはいるんですけれども。やっぱり、三公社五現業を民営化していく過程でストをできない体制にする。そして、ストライキをするということ自体を犯罪視するような社会をつくりあげていくという意味で、やっぱりスト権ストを打ち破る、そして分割民営化を成し遂げる過程で、新自由主義的な改革を進める中で労働争議が起きない体制をつくるということを目指されてたのではないかなという感じがします。

安全を守り社会を守る

安田:実は国労の、当時分割民営化当時の新聞報道なり資料を見ていて、今改めて「これは違うのかな」と若干思うのは、労働者の権利だとか組合の権利だとかスト権の回復だとか色々議論があるわけなんだけれども、僕は安全性の問題、それから公共インフラ、鉄道の公共性、これをなんでもっときちんと強調しなかったのか。後出しなんだけど。したのかな。

海渡:一所懸命にやりましたよ。

安田:あんまり見えてこない。だって、新聞広告だって国民の足を守れっていう大々的な広告を打ちましたよね。国労がね。でもあれは平場で、どれだけ多くの人に訴えかけることができたのか。後出しジャンケンですけれども。やっぱり、伝わっても良かったと思う。あの時は分割するのか民営化するのかという議論。それから、労働者の権利を守れという運動。解雇者を守れ、解雇者を出すな。首切りを許すな。これはとっても大事なことです。大事なことではあるけれども。鉄道というものがいかに国民の足として日本社会にとって大事な公共インフラなのかということがもっと議論されても良かったんじゃないかと思うわけです。



なんでその話をしたのかというと、関生の役割もまたそこにあるということなんですね。関生というのはいかに生コン労働者の権利を守る、人権を守るというだけでなくて、コンクリートの質を守ってきた部分があまり知られていない。関生がやってきたことというのは労働者の問題だけじゃなくて、生コンクリートの品質問題も一所懸命にやってきた労働組合なわけですよね。JRは、事故を起こしてから運転再開までめちゃくちゃ時間がかかるんです。なんで時間がかかるのかというと保線がいないから。電話でもって取引先の企業に電話して、「すみません来れますか今」みたいな形でやっと駆け付ける。その間に対応するのも遅いから、復旧時間が国鉄時代よりも遅いという状態になっている。安全面ではかなり後退している部分があるわけなんですね。だからこそ僕は国労が良いか悪いかじゃなくて、分割民営化当時はやっぱり国民の足、日本社会の公共性をもった鉄道という意識の中で安全問題を語るべきだったと僕は今でも思っているんです。

関生のことを少し。生コン問題になれば、安全性のためにも労働運動を潰しちゃダメなんだよね。経営者は儲かろうと思えば、いくらでもインチキするわけですよ。その結果どうなりましたか。たとえば高度経済成長時代に生コンの品質はボロボロだったわけですよ。労働条件も弱かったし。




その結果どうなったか。山陽新幹線の高架がパカパカ落ちてきたという事件があった。それからビルの中に調べてみるとかなり塩気がある。海水が中に入り込んでいることもあった。関生はその改善に取り組んできたわけです。品質を守れと。品質を守るとことが、最終的には労働者の賃金を守ることにつながってるわけです。逆の意味で労働者の人権を守る、働きやすい職場を作る、そして、安全性を高める。これ全部議論すれば同じ地平をもって論じられるべきものなんですよね。
 これを議論しなかったらどうなるのか。はっきり言えば、生コン業界から労働運動がなくなれば安価な生コンが流通し、建物がボロボロになりますよ。つまりインフラ、たとえば公共交通、JRでもなんでも、労働運動がなくなればめちゃくちゃになりますよ。そうした形で労働運動って何かと考えると、日本の安全性を担保する非常に重要なものだと考えられるわけです。ですから労働運動は確かにうるさいです。迷惑です。迷惑で何が悪いんだよという話ですよ。安全を守るためには時には迷惑をかけるかもしれなし、人々の人権と尊厳と社会を守るためには多少うるさいのも我慢しろということを堂々と言えるように。これ労働運動が言うとたたかれるんですが。

海渡:ありがとうございます。せっかくなので、毛塚先生のご意見を一言聞いてきたいなと。どうでしょうか。

コンプライアンス活動が果たす役割

毛塚:安田さんがおっしゃったことは、私が先ほど申し上げたことで言うと、コンプライアンス活動には二つの意味で重要な役割を果たすということだと思います。たとえば安全基準を守らせる、環境基準を守らせるということは、労働者の安全や環境の保全にとって有用であるということと、もう一つ、安全基準や環境基準を守らないでコストカットをはかるとすれば不公正な競争であり、自分達の仕事や労働条件を奪うことにもなるのでこれを防止するということです。そういう意味で、コンプライアンス活動というのは安全の確保という直接的目的だけじゃなくて、公正な競争を確保するという目的も含まれているということです。コンプライアンス活動について起訴状は軽微な不備に因縁をつける業務妨害行為だというわけですが、コンプライアンス活動が安全の確保と不公正な競争の防止にあることからすれば、検察は少なくとも不備があっても安全に問題がない、不公正な競争ではないことを示すべきです。コンプライアンス活動に関しても私が言いたかったことは、労働組合は、自分たちの仕事や労働条件を確保するためには市場のなかで競争制限というものをやっていたというその原点を忘れて議論してほしくないということです。



最近の労働法研究者はともすればそのあたりをあまり考えない。組合員のいない相手方と交渉できないから、その相手方に組合活動ができないのではないかと、団体交渉中心主義で組合活動を捉えてしまう。相手先に組合員がいようがいまいが労働市場のなかで自分たちの仕事や労働条件を確保する活動を展開することが労働組合の原点であったことを忘れないで議論してもらいたいのです。

それからもうひとつ。安田さんがおっしゃった中で、市民的公共性にかかる問題についての組合の取り組み方です。私は、情報通信時代の今日、ストライキだけが労働組合の武器ではないと思っています。情報発信というもっと有効な武器があるからです。私は、市民的公共性の確保にかかる問題、ヘイトといった人種・国籍差別の問題もそうですし、安全確保や環境保全もそうですし、或いはジェンダーに関わる問題もそうですが、モニタリング活動が有効と考えています。労働組合というのはもともと同質性を組織原理としていますので、利害が一致する者の組織の方が団結力が強い。しかし、多様性を前提にする問題には対応力が弱い。差別やジェンダー問題は団体交渉のテーブルで解決するよりも、モニタリングで解決する方が多い。



よく言うことですが、たとえば、女性の管理職の登用率は会社のなかの団体交渉ではなかなか解決できませんけど、たとえば、連合さんなんかが毎年女性の登用率の高い会社名を上から順番で発表してあげるとすれば、こんな登用率ではうちは新しい人を取れませんとすぐに解決する。そういう意味では団体交渉で解決するよりは解決しやすい方法と問題は多々あるわけです。労働組合の皆さんは、交渉制民主主義、代表制民主主義、ステークホルダー民主主義と労使関係の原理の違いを踏まえ、労働組合の武器は多様であることをおさえて、今後の活動をしていただきたい。情報化時代において労働組合の存在感を示し、若い人に火をつけるのは何が有効なのかというのを皆さんもぜひ考えていただきたいと思います。

【3】弾圧をどうはね返していくか

海渡:ありがとうございます。議論も深まってきたと思いますが、そろそろ第2セッションを終わりにして、第3セッションに入っていきたいと思います。ここではですね、生コン支部の事件というのは、社会の偏見というですかね、労働運動に対する見方自身が間違っていると。それを作っているのが警察、検察であり、ヘイト集団であり、そして広域協なのかもしれませんけど、そういう中でも少なくともイメージを変えていかなければいけない。どうやったら、かけられている弾圧を跳ね返せるのかという視点からセッションをしてみたいと思います。先ほども、申先生の方からも恣意的拘禁ワーキンググループの話をしていただいたんですけれども、実はそれも申し立てしたんです。われわれ一所懸命に申立書を作って送ってあります。

そして、恣意的拘禁のワーキンググループの委員の人たちにもお話をして、そして、これは私だけじゃないんですけども、精神病院の問題も入管の問題も日本の拘禁制度はあまりにひどいと。一度見に行きたいと言って、すでに恣意的拘禁ワーキンググループから日本政府に対して、country visitの要請が二度ほどされているんですね。だけども日本政府はいつでも来ていただいていいですよと、だけど今はダメですよと言っています。そういう状況の中で、とにかく早く来てくださいということをこないだ外務省に伝えました。入管や精神医療の問題にとりくむ弁護士も一緒に行ってもらって話をしたんですけれども、もしかしたらこれが上手くいくかもしれませんが、恣意的拘禁ワーキンググループへの申し立てということがどういう意義があるのか。これは、日本は個人通報制という条約に基づくものに一つも批准していないんですけど。これは個別的な問題でできるんですね。そういう意味では非常に特殊な制度だと思っているんですけど。ちょっと特徴をお話いただけると。

関生事件は「面倒くさい」

安田:社会の空気を見ながらメディアは動くところがあるので、世論の高まりによって、世論の変化によって報道の仕方が変わるということもあるかもしれません。ひとつ言えることは、たとえば2005年くらいにも関生に同じような弾圧があった。この時の新聞はめちゃくちゃひどかったですね。武は反社のボスみたいな。そういった見出しが躍っていて。「業界のドン」とか。ちょうど時期的にはハンナン事件があったんですね。あの時に捜査員の一人はハンナンの次は関生やでみたいなことを番記者の中で言っているわけです。事前に報告している。ハンナン事件というのはハンナン畜産という食肉関係の贈収賄事件があったんです。かなりでかいです。「ハンナンの次は関生に行くで」ということを新聞記者に漏らしている。そのくらいの計画的な弾圧であったわけですけれども、その時はひどかった。業界のドン、ボス、ほとんど暴力団あつかい。



今回に関しては、ニュースは報道されるけれども、そうした業界のボス、ドンが逮捕されるという。あるいは反社的な扱いをもって報道があるかというとあまりない。一部あるけれども、あまりない。これを喜ぶべきかどうなのかというのは意見が分かれるところなんですけど。
 実は関西のテレビ局の報道記者とこの件に関して話をして、なんで関生をやらないのと、前はでかく報道でやっていたじゃないかと、そしたら記者は僕に向かってこう言ったんです。面倒くさい。これは色んな意味があるんです。いい意味での面倒くさいという言葉の意味は、一つは、変なことをすると関生から抗議される。市民から抗議される。これはとても良いことですね。報道が抗議を受けるということはとても良いことであって、つまりそうした行為が面倒くさいと思わせることは大事なので、そういうふざけた報道をするなよという圧力というかですね。日々の圧力というのはやっぱり大事なことですから。これは肯定できる。



しかし、残念ながらその記者の言う面倒くさいというのはそういうことじゃなかった。この問題を報じることによって背景とか色々ごちゃごちゃしているから、それを調べるのが面倒くさい。それからデスクに通すのが面倒くさい。キャップに言うのが面倒くさい。これを報ずる、全体の構図がわからないから面倒くさい。たぶん、そっちの方だと思うわけです。つまり、労働運動における刑事事件。これはペーパーを記者クラブに配布されたペーパーをそのまま出すだけだったら簡単なので、今そうしているわけですね。きちんと調べようと思ったら大変なんですよ。今それだけの取材力があるのかどうかということ。それだけの時間的余裕があるのかどうかということ。或いは、それをやろうと思うだけの意志を持った記者がどれだけいるのかということが重要じゃないかと思うわけです。ですから、報道が変わるのか変わらないのかということはむしろ報道側に問われているのではなくて、報道を見ている私たちが問われているんじゃないかなと思ったりするわけです。お前たちしっかり報道しろよと。

組合活動を理由とする拘束は「恣意的拘禁」

申:先ほどの報告では時間がなくさっとしか触れられなかったんですが、恣意的拘禁作業部会というのは国連の人権理事会の中にある手続です。国連の加盟国全部を対象に恣意的拘禁というテーマについて幅広く扱うという部会で、5人の委員がいて、それぞれが政府とは違う独立の立場で選ばれた人が委員になって色んな世界中から寄せられている事件を扱っています。そして、人権条約とは直接関係がない手続きなので、条約に入っていなくても使える。考え方としては、世界人権宣言とか国連憲章という、最も基本的な国際基準に基づいているんですね。今の国連ができてから国際人権法は始まってきたんですが。国連に入っている加盟国は全部対象になる。世界人権宣言というのは条約ではなくて文字通り宣言なんですが、それも国連加盟国である限り受け入れるという前提になっているものですよ。条約に入っていなくても、国連加盟国は国連憲章と世界人権宣言を守ることになっているのです。

そして、恣意的拘禁作業部会が個人からの通報を受け付ける場合、いくつかのパターンがあります。一つ目は、何の法的根拠もない自由の剥奪。二つ目は、これは関生のケースに当てはまると思うのですが、世界人権宣言や、自由権規約に入っている場合には自由権規約で保障された人権の行使を理由とする自由の剥奪。これは結社の自由(労働組合結成を含む)の行使を理由とする拘束というのを含むわけですね。



ですから、これに関生のケースが当てはまると思います。それから、先ほどコーラ1本の万引未遂で精神病院に強制入院になった障害者の方のケースを紹介しましたが、出生や障害などの理由での不当な差別に基づいて人を身体拘束をしたというのが恣意的拘禁のカテゴリーに入っていますので、その方の場合は差別として認められています。

海渡:山城博治さんも。

申:そうですね。沖縄の市民運動のリーダーの山城さんのケースも、恣意的拘禁作業部会に通報されて報告書が出ました。
 海渡さんが触れられましたが、こういう作業部会の委員ですとか、国連の特別報告者は、必要があれば国ごとに調査に来ることもあります。それについて、日本政府は一応、standing invitationといって、常時受け入れという立場を国連に通告しているわけです。ですけど、表現の自由に関する特別報告者のデビッド・ケイさんの時のように、実際に行ってもいいかと問い合わせがくると「今は無理」と言ったり、日程をドタキャンしたりしているのが現状です。日本政府は率直に言って国別調査には非常に後ろ向きで、常時受け入れと言いつつ、実際には受け入れを拒んでいるのに近いような状態になっていると思います。




ですが、日本の精神病院の入院の患者数、ベット数ですとか、今の入管の収容施設にいる外国人の数とか、日本で恣意的拘禁にあたる扱いを受けている人の数はものすごいものがありますので、関生のケースも含めて、作業部会の委員の日本訪問調査が実現すれば意義深いものになると思います。

海渡:ありがとうございます。次にですね、安田さんにちょっと聞きたいのですけれども、少しずつではあるけれども、生コン事件についての報道、まとまった報道が、ハーバビジネスオンラインだとか雑誌の「世界」に竹信三恵子さんが非常に力の入った連載をなさっていただいているとか少しずつ広まっているようにも思うんですけども、もっと幅広く、端的にいうと既存のマスメディアですかね、そういうところにもまともな報道をしてもらうようにしていくために今どういうことをしなければいけないのか。難しいのでしょうけど、こういうことをすれば可能だとか、何かありますでしょうか。

関生事件は「面倒くさい」

安田:社会の空気を見ながらメディアは動くところがあるので、世論の高まりによって、世論の変化によって報道の仕方が変わるということもあるかもしれません。ひとつ言えることは、たとえば2005年くらいにも関生に同じような弾圧があった。この時の新聞はめちゃくちゃひどかったですね。武は反社のボスみたいな。そういった見出しが躍っていて。「業界のドン」とか。ちょうど時期的にはハンナン事件があったんですね。あの時に捜査員の一人はハンナンの次は関生やでみたいなことを番記者の中で言っているわけです。事前に報告している。ハンナン事件というのはハンナン畜産という食肉関係の贈収賄事件があったんです。かなりでかいです。「ハンナンの次は関生に行くで」ということを新聞記者に漏らしている。そのくらいの計画的な弾圧であったわけですけれども、その時はひどかった。業界のドン、ボス、ほとんど暴力団あつかい。



今回に関しては、ニュースは報道されるけれども、そうした業界のボス、ドンが逮捕されるという。あるいは反社的な扱いをもって報道があるかというとあまりない。一部あるけれども、あまりない。これを喜ぶべきかどうなのかというのは意見が分かれるところなんですけど。
 実は関西のテレビ局の報道記者とこの件に関して話をして、なんで関生をやらないのと、前はでかく報道でやっていたじゃないかと、そしたら記者は僕に向かってこう言ったんです。面倒くさい。これは色んな意味があるんです。いい意味での面倒くさいという言葉の意味は、一つは、変なことをすると関生から抗議される。市民から抗議される。これはとても良いことですね。報道が抗議を受けるということはとても良いことであって、つまりそうした行為が面倒くさいと思わせることは大事なので、そういうふざけた報道をするなよという圧力というかですね。日々の圧力というのはやっぱり大事なことですから。これは肯定できる。



しかし、残念ながらその記者の言う面倒くさいというのはそういうことじゃなかった。この問題を報じることによって背景とか色々ごちゃごちゃしているから、それを調べるのが面倒くさい。それからデスクに通すのが面倒くさい。キャップに言うのが面倒くさい。これを報ずる、全体の構図がわからないから面倒くさい。たぶん、そっちの方だと思うわけです。つまり、労働運動における刑事事件。これはペーパーを記者クラブに配布されたペーパーをそのまま出すだけだったら簡単なので、今そうしているわけですね。きちんと調べようと思ったら大変なんですよ。今それだけの取材力があるのかどうかということ。それだけの時間的余裕があるのかどうかということ。或いは、それをやろうと思うだけの意志を持った記者がどれだけいるのかということが重要じゃないかと思うわけです。ですから、報道が変わるのか変わらないのかということはむしろ報道側に問われているのではなくて、報道を見ている私たちが問われているんじゃないかなと思ったりするわけです。お前たちしっかり報道しろよと。

「観る側」に問われること

安田:関生関係でいうと2014年にXバンドレーダー配備反対集会に関生のバスを使ってパクられた案件って知ってます? 京都にXバンドレーダーという施設があるんだけども、その配備に反対する集会に市民が関生のバスに分乗して行った。その時にみんなで経費を割り勘で払った。これを「無許可有償行為」だとして道路運送法違反で関生の事務所にガサが入る。似たようなことは反原発運動の中でもあった。福島での反原発集会に行った時、ある人がレンタカーを借りて、高速代とか、ガソリン代とかをみんなで分担して払った。これが白タク行為としてパクられた。こういったことが平気で行われ、何の背景もなしにそれが報道される。

つい最近でも私の知り合いが「車庫飛ばし」でパクられた。簡単な話です。地方にある実家で使っている車を、東京に住んでいる自分の家の駐車場に置いて、それを日々利用していた。車庫飛ばしでパクられた。
 



それも連行シーンまで放映されて。これ報ずる必要があります? 車庫飛ばしでパクられたのに、車庫飛ばしの件に関しては取り調べでほとんど聞かれていない。どんな社会運動に参加して、誰が仲間で、本部はどこなのか、事務所はどこなのか、そんなくだらないことを聞かれる。警察の狙いはそこにあるわけですね。

つまり警察はやろうと思えば何でもやる。昔からやっていたことだ。問題は報道ですよ。これをさも凶悪事件かのように報じ、カメラを回して、連行シーンを報ずる。これはXバンドレーダーの時もそうだったし、関生に関するあらゆる報道の時もそうです。メディアは警察の言いなり。言いなりになっている自覚がないと思いますよ。仕事だと思っている。関生なんて事務所にガサが入る時、あれは誰かをパクる時、事前に記者クラブに連絡がいくわけですよ。




何時何分にパクるからみたいな話で。令状を持っていくから。みんな記者たちは面倒くせぇな朝早くからよと思いながらカメラ担いだりペンを持っていくわけですよ、事務所の前に。そして、出てくるシーンでカメラを回す。記録をする。そのまま報ずる。その繰り返しをやっている。

今のサツ取材に慣れきり、それが社会部の中での主流であり、報道分野でもってサツを経験してネタを取れば出世できるっていうシステムはもうすっかり定着している中で、お前ら変われと言ってもなかなか変わらないと思うんです。であるなら、どうするかっていえば、やっぱり見ている私たち、日々報道に接している私たちが「違うだろう」ということを言い続けなければならない。もちろん僕も含め。フリーランスの僕も含めて。「それ違うよね」と言い続けることによってしかメディアは変わらないんじゃないかなという気持ちがひとつ。それからもう一つは、先ほど海渡さんがおっしゃったとおりネットなどさまざまなメディアをもって、今、回路が増えてきた。回路を使って、もっともっと当事者が或いはその傍にいる人たちがどんどん発信していくことが大事になるんじゃないか。

こちら側もネット活用を

安田:今日ここで話していること。刑事事件である。人権弾圧であるというだけでなく。国際的にみてどうなのかという問題。それから先生もおっしゃったとおり安全の問題をどう見るかという問題。色んな角度から取り上げられること。色んな角度をもって多角的に同時にどんどん発信していく。こういう回路がネットにあるんだから、とりあえず利用することが大事ではないか。



なぜなら今ネトウヨばかりが跳梁跋扈しているから、これをなんとかしないといけないと思うんですね。「関生」とか「関西生コン」と打ち込んで検索したときに、グーグルでもヤフーでも何でもいいのですが、何が出てきます? 売国とかそんなことばかりが出てくるでしょう。この地図を塗り替えないといけないと僕は思うんですよね。



リベラルの人々って、ネットを馬鹿にしていたと思う。僕もそうだった。ネットで対決するって馬鹿じゃないのって。ネットでやりやってもしょうがないし、ネットでもって反論してもどうせ無駄だし、とか思っているうちにネトウヨがネット上で跳梁跋扈して、やつらの色に染め上げようとしているわけです。きちんとした発信が圧倒的に足りない。足りないから、みんな頑張ろうというのが僕のコメントです。

若い人に伝えるために

申:先ほど安田さんから関生は労働者の人権のためだけでなく、生コンの品質を守ってきたという話がありましたが、労働者の権利も含めて、コンプライアンス活動がいかに大切なことかというのを、日本社会の中でアピールをして、推進していくことが必要なんだと思うんですよね。

毛塚さんから、若い人に全然分かってもらえないことの難しさというお話がありましたが、私は大学の授業で、「ヒューマン・ライツの現場」という授業をやっていて、1年生を主に対象に、ゲストの方を招いてお話を聴いたり、ドキュメンタリー映像を見たりしています。




その授業で、過労死された方の遺族の方のお話として、電通の高橋まつりさんのお母さんにお越しいただいたことがあるんですが、学生はブラックバイトをいっぱい経験していますから、結構熱心に聞いてくれるんですね。高橋まつりさんのお仕事の状況をお聞きすると、これが業務の範囲なのかと思うようなことを上司から無理に頼まれていたことが分かります。

例えば、会社の懇親会の会場を取れというのですが、それは1ヵ所じゃなく、適当なところを何ヶ所か偽名で押さえておけ、後でドタキャンすればいいからと言われたそうです。まつりさんは真面目な方だったので、そういうことをさせられるのをすごく悩んで、偽名でドタキャンさせられて、すごく苦しんでいたと。



結局、労働者の人権を守らないような会社はコンプライアンスもしないわけですね。平気でそういうことをやるわけです。その授業のときに、一緒にお招きした川人博弁護士も、労働者の人権も結局コンプライアンスの一種なんです、非常に密接なんですとおっしゃっていました。ですから、関西生コンだけの問題じゃなくて、労働者の人権問題である。それがコンプライアンスの重要な一環であって、それを守るために、ひいては生コンの品質を守るためにやっていることなんだと正当性をしっかり主張していくことが大事じゃないかなと思います。

【4】まとめ 私たちにできること

海渡:ありがとうございます。そろそろ時間がおしているので、まとめに入っていきたいと思うのですけれども。関生を支援する会としてはですね、先ほども小川さんが言ってくれたとおり国賠訴訟の提起も準備していますし、地域ごとに支援する会、まだ全国まではいってなくて、今のところ静岡と東海と神奈川と千葉でできることが決まったそうですけど、頑張っていきたいと思うのですけれども、最後にパネラーの3人の方々に数分ずつ、会場に来てくださった方へのメッセージをいただければと思います。まずは毛塚さんお願いします。

労働法学の議論、社会に発信

毛塚:何ができるかということで言えば、私は労働法の一研究者として先ほど申し上げたようにこれまでの団体行動法理というものをもう一回考え直す必要性があることを学会において声をあげていきたいと思っています。先ほど安田さんもおっしゃいましたように、記者や研究者も「足で学ぶ」ことを最近しなくなったというかネットで情報を集めるだけでよしとする形が増えていますので、若い研究者になるべく足を運んでもらい実感を持てるような機会を作りたいとも思っています。

また、先ほど学会声明をお話しましたけれども、声明を出した趣旨を記者の皆さんに伝えることが難しかった。労働法学会にも色々な立場の人がいるなかで、共通して伝える必要があると考えたことと言えば、民間の労働紛争を刑事立件することへの疑念と労働組合活動の正当性評価を真摯に行えという、極めてプリミティブなことだったのですが、この点を記者の皆さんに理解してもらうことが難しかった。さらに、先ほどの繰り返しですけども、大津の裁判を見て、本当に日本の司法はこうなってしまったのかと失望しました。裁判官や検察が最初から関生労組を反社会的集団としてみて対応するし、若くて人の良さそうなお兄さんやお姉さんの検事さんが何の疑問ももたずに、コンプライアンス活動は嫌がらせと思って議論するわけですよ。そんな姿を見るとき、われわれ労働法研究者は何をやってきたのだろうかと思うくらい絶望感を持ちました。労働法学の議論を広く外に発信し、共有していく機会をなるべく作っていきたいと思っています。

海渡:ありがとうございます。世の中全体が変わっていけば裁判所も変わる可能性がある思いますので、頑張っていきたいと思います。次に安田さんから最後の言葉をいただいていいでしょうか。

無知・無関心・無理解とどうたたかうか

安田:たしか1981年でしたかね、当時の日経連の会長だった大槻文平が箱根の山は越えさせないという有名な言葉を残したんですね。関生が箱根の山を越えてきたらどうしようと。その恐怖感がよくわかる。労働争議とはその恐怖感を与えることが仕事だから、その点においては非常に良かったと思っているわけです。なんだけども、今そういった形の恐がらせる労働組合、つまり本当に経営者が国が社会が労働運動に対して、恐がるのはなかなかないという現状の中で、われわれはどう対応していったらいいのか。僕も考えないといけないなと思っています。

労働組合、労働運動、これだけ必要としている時代に労働組合の組織率がどんどん低下していくという現象を私たちはどう見るのか。若い人の無理解とかっていう形で片づけないで、真剣に本当に必要としている人がいる。決して労働運動の、労働組合の役割というのは単に人権、雇用とか労働者の尊厳を守るだけでなくて、結果的にこの社会をも守るものなんだということをきちんと訴える、私たちメディアにかせられた一つのテーマかもしれないなと思っています。その最大の阻害要因というのは社会の一部にある無知と無理解と無関心だと思うんですね。これとどういうふうに向き合っていくのか。



関生が嫌われるのはね、たとえば沖縄だったり、或いはさまざまな労働運動だったり、反原発運動だったり、社会運動にコミットしている。そういう意味で当局から嫌われるし、狙われる。そういう部分があると思うんですよね。
 沖縄の話を一つしましょう。2013年1月にちょっと変わった光景を目にしたわけです。2013年1月に東京、数寄屋橋に、あるデモ隊が現れました。そのデモ隊の先頭に立っていたのが当時沖縄の那覇市長だった翁長(雄志)さんです。翁長さんを先頭に沖縄県選出の国会議員団、県会議員団、各首長であったり、あるいはこれまで沖縄の問題に取り組んできた保革を問わず、色んな人々がデモ隊が銀座を通った。何を訴えたかというとオスプレイ配備反対だったんです。基地反対じゃないですよ。せめてオスプレイ反対は止めてくださいという沖縄自民党から共産党まで右左を問わず、色んな人たちがわざわざ沖縄から東京に来て、銀座の町を練り歩いたわけです。建白書を持ってですね。オスプレイ配備だけはやめてくれと。その当時は、翁長さんはバリバリの自民党員で那覇市長ですよ。自民党の国会議員でさえそのデモの隊列にいた。



このデモ隊に対して、銀座で、強烈なカウンター運動をした人たちがいるわけ。これが今関生攻撃をしているネトウヨ、レイシスト、差別主義者。この人々は沖縄の議員団あるいは首長たちに何と言ったのか。売国奴、国賊、中国の手先、沖縄に帰れ、ウジ虫、ダニ。こう言って、沖縄の人々に罵声をぶつけた。びっくりしたのが翁長さんですよね。先頭に立っていて、自民党員です。当時はまだバリバリの。

この出来事のあと翁長さんは一変するわけです。オスプレイだけじゃなくて、「普天間基地の辺野古移設」に関しても明確に反対するわけです。新基地建設は反対と。翁長さんはそれ以来変わったんですね。僕はこれを見てね、ネトウヨやっちまったなと。この醜態な姿を見せることによって、翁長さんを変えたし、沖縄の一部の保守を変えた。僕はそう思った。そういう記事を書いてきたし、メディアもそう書いてきた。


安田:ところがね、これは結果的に間違いです。のちに翁長さんがインタビューでこう言っている、あの日のデモで売国奴、国賊と言われたことに関してはやっぱりショックを受けたと。しかし、私はあれに腹を立てて辺野古新基地建設反対を言いだしたわけじゃないと。確かに私は腹を立てたけども、国賊、売国奴と私に向かって言ってきた連中に腹を立てていない。私が腹を立てたのは東京都民ですよと。同じ日本国民と言っておきながら沖縄県民が歩いている最中に売国奴と言われた時に、国賊と言われ、ダニと言われ、臭いと言われ、出でけと言われる。その時に銀座の歩道を歩いていた東京都民は何をしていましたか。東京都民だけじゃなかったかもしれない。ダニと言われ、国賊と言われ、売国奴と言われた時に、東京都民は何知らん顔で買い物していた、お茶を飲んでいた、飯を食っていた、酒を飲んでいたんです。何事もなかったように銀座の町は平穏だったんです。

国賊という言葉が飛びかい、売国奴という言葉を飛びかい。死ねと言われ、ダニと言われ、ゴキブリと言われ、そうした言葉が飛び交っているのに、東京の人間は無関心だった。何事もなかったようにお茶を飲み、ご飯を食べ、酒を飲み、家路を急ぐんですね。翁長さんはそれに腹が立ったんだって。つまりこの人たち信用できない。売国奴という言葉が飛び交っている最中に翁長さんが見ていたのは日章旗を手にし、旭日旗を手にして、やっている人々ではなく、何事もなかったように街を歩く人々なんですね。この人たちに腹が立った。だから翁長さんは変わった。明確に新基地建設反対に変わった。本土のために、これ以上基地を作らせてたまるかよっていう気持ちがあったんでしょう。



僕は大事なシーンだと思っているわけです。今私たちは社会で進行していることは何なのか。そして、この無知、無関心、無理解と私たちはどう闘うべきなのか。翁長さんの怒りというものを僕もヒントにしながら、みなさんと一緒に考えていければなと思っています。労働組合、労働運動のない社会はどんなものなのかという想像力を働かせながら、色んな人々と話し合い、議論していきたい。ありがとうございました。

海渡:安田さん、どうもありがとうございます。最後になりましたが申さんよろしくお願いします。

国際人権法が弾圧に抗する光

申:私は今回このシンポジウムのお話があってから改めてILOの結社の自由委員会の決定集を詳しく調べてみたんですが本当に関生のケースにとって参考になる先例法理が多くありまして、一つの光になりえるかなという気がしました。もちろん、国際人権法というと原語はみな英語やフランス語ですし、どうしても言葉の壁があって、直接見るのも大変なのですが、ILOは当然日本も入っていますし、人権条約にも日本はいろいろ入ってますので、国際人権に照らして考えることが大事だと思いました。その点でもう一つ、私の話でも触れました自由権規約という条約ですが、定期的に国が報告書を委員会に出して、口頭で質疑応答を受ける審査があるんですね。自由権規約の次の報告審査は今年(2020年)10月頃の予定なんです。



なので、その際に事前に委員会は質問事項を出してきますし、準備することになります日本は個人通報という条約制度には入っていないので、人権規約を守らせるためには報告審査くらいしか使えるものがないのですが、日本の市民団体の側として、今度の関生事件のような問題をぜひ質疑応答で取りあげてくれないかということを、委員に事前に働きかけをして質問に出してもらうことが、一つできる方策ではないかと思います。今までにも、日弁連の弁護士さんなどはほとんど毎回ジュネーブにいらして、政府の報告書には書いていないいろいろな問題を、「カウンターレポート」という形で事前に作って、英語にして、委員に手渡してブリーフィングするなどして来られていますので。今回も関生の事件をそういうふうに取りあげて、ぜひ条約の質疑の時に出していただいて、まとめの所見の中に盛れるように努力なされるのもひとつ良いかなと思いました。以上です。ありがとうございました。



海渡:ありがとうございました。最後に僕から一言だけ。この関生の件は将来に非常に禍根を残すんじゃないかと思うんですよね。日本の民主主義、人権の未来をかけた闘いになってくるんじゃないかなと僕は思います。そういう意味でですね、実際に今日は本当にたくさんの方がありがとうございました。僕らは東京における助っ人弁護団みたいなものですけども、恣意的拘禁に国賠訴訟を起こしたり、他にもやれることがあったら一所懸命弁護団として支援する会としても支えてですね、頑張っていきたいと思っております。以上でパネルディスカッションはおしまいにしたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

私の労働組合体験

私は高卒後、小さな印刷会社で働いていました。全印総連が組織した個人加盟方式の労働組合を結成して、偽装倒産、企業閉鎖、全員解雇攻撃と闘ったことがあります。ロックアウトに対する籠城闘争です。組合を拒否する先制ロックアウトは違法です。75日間の籠城闘争の末、都労委の斡旋で全面解決。別会社をつくる資金を得て、自主管理(組合経営)の会社をつくりました。このとき、泊まり込みの応援にきてくれた労働者との交流から、労働運動のルポを書くようになりました。

古い話なんですけど、そのすこし前、関西の近江絹糸という会社で有名な大争議が発生しました。近江絹糸は今でもありますが、女性労働者たちの状況があまりにもひどいというので立ちあがり、全国で有名になったのです。そのあと、いろいろな中小企業で近江絹糸の運動に学んだ争議が起き、1960年安保闘争に向かう前、中小企業の組織化が拡大していきます。

コンプライアンス活動とは

関西生コンの運動というのは、企業別組合でない産別、個人加盟という方式なので、弾圧があっても闘争がつづけられているのです。欧米あるいはその影響を受けたアジアでは、当然個人加盟、産別なんですけど、日本はほとんどハウスユニオンと言われる、会社組合、企業別組合です。

もちろん、企業内組合でもいろいろストライキなんかがありましたけれども、だんだんと海外競争をふくんだ、企業間競争が激しくなるに従って、企業意識、企業防衛意識に誘導され、すべて企業防衛に協力するようになりました。希望退職の募集などでも労組が協力して、解雇年齢の線引きや、解雇リスト作成に協力するなど、第二労務といわれたりしています。企業危機には労使一体化して頑張っていく。最近の言葉で言えばワンチーム、企業内で労使一体となって国際競争に立ち向かうと、そ
ういう流れになっています。

個人加盟労組によって、業界の低い労働条件を改善していく活動、今はコンプライアンス活動と言ってますけど、これは安全点検闘争、人権闘争なんですね。安全点検闘争は、炭労最強の三井三池炭坑労組の日常活動として、活発に実施されていました。労働者の命を守るのは安全闘争です。5人組の班を作り、職場を点検して安全を管理する、坑内の安全管理を労働者が握る、こういう運動だったわけです。

労働組合は民主主義の基盤

ところが今、この活動を不当にも、まるで暴力団あつかいして、刑事警察ばかりか公安警察が中心になって、滋賀県の場合なんかそうですけど、大弾圧をかけてきています。労使協力ではない。職場の権力は完全に会社が握る。民間企業なのに、警察が加担しているのです。民間企業に警察が関与したら警察国家です。経営者にとっても、経営権侵害のはずです。労働運動を犯罪視するのは、労働法ばかりか、憲法否定で、い
わば治安維持法の支配下ともいえます。

私たちは、労働組合は民主主義の基盤であると考えたい。労働組合活動なくして日本の民主主義は成立しない。6000万労働者の自由なくして、民主主義はありえない。いま、安倍政権は警察官僚を官邸で側近におき、最高裁判官もNHK会長も内閣法制長官も支配下に置き、検事総長まで息のかかった者にしようとして、ブザマに失敗した。議会内多数をたのんで、とにかく自分の意にかなう形で政権をやっています。

この暴政と圧政に抗する民主主義の基盤として、労働運動と市民運動があるのですが、その一方の労働運動が戦後もっとも強烈な弾圧に遭っています。これからどういうふうに労働運動を再建していくのか、民主主義をどういう形で強化していくのか、そういうふうな問いかけがいま切実です。

労働運動と市民運動の連帯で

もうひとつは市民と労働組合の連帯をどう強めていくのか。いま原発反対運動は、市民が中心です。以前は地区労や県評が中心でした。市民運動が労働運動をささえる基盤ができています。企業内の労働者が市民と力を合わせて闘い、市民が労働運動に手を差し伸べる。市民の団体と労働者の団体が、民主主義を闘うためにどういうふうな形で一緒に闘っていくのか。

関西生コンの闘争と大弾圧は、警察の横暴という意味では、市民生活への支配の強化として、無視できません。労働運動と市民運動との連帯なくして、日本の民主主義は成立しません。

団結権も争議権も、憲法で保障されています。社会の民主化運動は、意見のちがいや立場のちがいを乗りこえながら、一緒に協力しあう。民主化闘争は運動内部の民主主義によって作っていく。そういう運動がいま必要になっていると思います。

この生コン運動は残念ながら、関西が舞台です。地の利が関東ほどないので難しいところがありますけれども、関西生コンにかけられている弾圧が、これからの暗闇の時代の到来をふせぐ、私たち一人ひとりの思想信条、自由と民主主義と人権をもとめる意識に深く関わっていることを認識し、捉え直して、運動を拡げていきたい。



鎌田 慧(かまた・さとし)
ルポライター。『自動車絶望工場』『六ヶ所村の記録』など著書多数。近著『反逆老人は死なず』(岩波書店)。「さようなら原発」「戦争をさせない1000人委員会」などのよびかけ人。